「こんな日は部屋を出ようよ」中編-4
雲は、夕方から雨を落とした。何時も目にする光景も、心なしか褪せた印象に映る。
普段なら鬱陶しさしか伴わない天候が、この日の僕には違って見えた。
「じゃあ、初めようか」
「はい……」
椅子に腰掛けたルリの横に立ち、数式の解き方を教えていく。
僕の説明に彼女は、時には頷き、時には眉間を寄せ、そして時には笑みを浮かべた。
その仕種は今までとは明らかに違う。昨日以上に、冷然とした雰囲気が全く感じられず、十五歳の、普通の女の子がそこに居た。
僕は、彼女の中にある、僕に対する何かが氷解したのだと思った。それが表情の変化として露わになったと。
では、僕への何がとはどんな物だろうか。この五ヶ月もの間、頑に初心を貫く程、堪え切れなかった事柄とは。
しかも、ここ数日の出来事がそれを氷解させるきっかけとなっている。
(何だ、僕は何をした……)
頭を廻らせるが、何も浮かばない。やがて、
「これ、Xの値違います」
「えっ?あ!ああ、ごめんッ」
自分のした事が気になり過ぎて、大事の方が疎かになってしまった。
「ごめん、ちょっと煙草吸ってくるよ」
そう言うと、ルリは「じゃあ、わたしも」と言ってベランダへの窓を開けた。
雨は降っていなかった。僕逹は昨日と同じように、お互いが距離を空けて外に目を向けた。
──相手が持つ自分の印象を変えたかった。
煙草を吸いながら、友人の言葉が浮かんだ。ルリも同じ様な事を考えて、昨日の言動となったのか。
確かに、今まで見せた冷然とした態度を学校生活に持ち込んでいれば、注目はされても友人は出来ない。
それでの煙草なら、さらに疎外感を増す方に働いてしまう──辞めるべきだ。
おそらく違う。もっと別の理由ではないだろうか。
だが、これだけは言える。彼女は変化を望んでいる。現状を打破する必要性を感じ、そのきっかけが煙草ではないのだろうか。
「あの……」
昨日と同じように、ルリが声を掛けた。
「その煙草の事。学校で調べてみたんです」
「へえ。何て?」
「ずいぶんと……身体に害になる物って、書いてありました」
「そう。自分に毒を取り込んでるのと一緒だよ。そればかりか、煙を吸った周りの人にも毒をもたらす」
外を見ていたルリは、僕の自虐的な台詞にこちらを向いた。
「解ってて辞められない……勝手ですよね」
「そうかも知れない。いや、そうだね」
厳しい罵り。だが、不思議と腹は立たなかった。それよりも、次の言葉の方が僕には引っ掛かった。
「……やっぱり、わたしに一本下さい」
この機会を逃したくない。