ミオお嬢さん-1
窓際に立って外の湖を見つめている娘がいた。オレンジのパステルカラーの襟ぐりの広いドレスを着ていて、鎖骨や首筋を露出している。その首には豪華なダイヤのネックレスをしている。
その娘が振り返ると、筆で書いたような柳眉、吸い込まれるような黒い瞳が見えた。鋭く刻まれた二重の皺、疎にして短い睫毛。色白の顔肌に丸みを帯びた鼻頭と鼻翼。弓形の上唇にふんわりとした下唇。白い首がなだらかな曲線を描きながら肩に連なっている。
「いつからそうなのですか?ケンジさん」
そう言われて、僕はケンジという名前だったのを思い出した。そしてこの娘はミオ令嬢だった。
僕は机の上の本を閉じた。いつからというのは何のことだろう?僕は思い出そうとした。ミオ令嬢は肩を竦めた。
「そうですね……いつからと言われてもわからないですね。ケンジさんが気がついたとき、そんな風になっていたのでしょうね、きっと。でも……」
ミオ令嬢はこちらの方にゆっくり歩いて来た。
「ケンジさんの目標が見えないというのは、わかるような気がします。スポーツ選手だったらオリンピックに出るとか、学者だったら論文を書いて発表するとかあるのでしょうけれど、大抵の人は暇つぶしの趣味を目標とすり替えていますものね。」
僕は、ああそういう話かと思った。僕はミオ令嬢の言葉に頷いてみせた。この人は見かけは可愛いが妙に醒めたところがあるのだ。
「私……目標なんて始めからないと思うんです。それは後から勝手にでっちあげたものに過ぎないんじゃないかな。みんな自己満足のために、そういうものを捏造しているだけかなって、そう思えるんです。
生きるのに精一杯なら、生きることが目標みたいなものだから、そんな余計なことは考えないと思うし、それがなくてもとりあえず生きて行けるってものでしょう」
ミオ令嬢は簾のように垂れ下がったダイヤのネックレスの位置を直すと自分の胸の膨らみに目を落とした。
「女は子供を生むという仕事があって、男はその補助的なものに過ぎないから、何か別なものを求めて自分を納得させたいのかもしれないですね」
ミオ令嬢はいつもこうだ。自分の論陣を張って、蟻の這い出る隙もなくしてしまう。ミオ令嬢に言わせれば僕の悩みなんて取るに足りない暇人の贅沢に過ぎないのだ。
僕はミオ令嬢の父親の別荘に二人きりでこっそり来たのだ。ミオ令嬢は財界のパーティの帰りに僕と待ち合わせた。政略結婚の相手と顔を合わせるのが嫌だから、具合が悪いと言って誘いを断って来たのだという。
ミオ令嬢はなぜ貧乏学生の僕をこうやって呼び出すのだろう? インスタントラーメンで1日を過ごすこともある僕と彼女の接点はない。住む世界が違うのだ。
そして僕の話をちょっと聞いてから、いつもこのように長いコメントをして僕をやりこめてしまう。そういう風にして自分の優位性を確かめる為に僕という存在が必要なのだろうか?
けれどもミオ令嬢は雑誌にも出たことのある財閥のお嬢様だ。そして下手な女優も裸足で逃げ出すような美貌の持ち主なのだ。僕はこれで3度目くらいになるだろうか?呼び出されてなんとなく時間潰しに付き合うだけの関係だ。
彼女はタクシーを使うからアッシー君でもない。メッシー君でもないし、セフレでもない。ボーイフレンドでもないし、召使でもない。じゃあ、一体僕は何の為にキープされているのだ。
「ミオさん、これで僕を誘うのは3回目ですけれど、どうして僕なんかに声をかけるんですか」
僕は思い切って聞いてみた。