天使に似たるものは何か-3
マクグーハンが嘘や冗談を言っているようには見えなかったが、R・ロビンは本気で取り合う気はなかった。勿論、そうした言葉に悪い気はしなかったが、相手が誰であれ、娼館で紡がれた言葉は次の瞬間、塵と消えるのだ。
「社交辞令とは言え光栄ですわ。私は既に売り物ではありませんから、お暇なときにはいつでもお相手して差し上げますよ、パトリック」
「あ、いや、僕は社交辞令で言ったわけではありませんよ。それに下心があったわけでもない…」
「私は下心があるなんて言っておりませんわ。私があなたに好意を寄せることはおかしな事かしら?それとも、私に女としての魅力は感じないと?」
甘い囁きと共に拗ねたように人差し指を押し付けられ、マクグーハンは純情な少年のように顔を赤らめた。
「あ、いや、まいったなぁ…。僕も子供ではありませんから、それが社交辞令でないなら本気にしますよ…」
「オートマトンは人間に嘘はつけませんわ」
そう言って、上品に笑うR・ロビン。オートマトンは人間に嘘をつけないが、女は男に嘘をつく。そして、マクグーハンは彼が言うように大人でもない。
「そんなことより、R・ミシェルの部屋へ参りましょう。どんなお楽しみも、お仕事が終わって、月が顔を出してからですわ」
そう言うと、R・ロビンはマクグーハンを促し、赤い天竺絨毯の上を先に立って歩き始める。
R・ミシェルは肌着のままで影見の前に立っていた。影見の向こうには巻き毛の少女がまんじりともせず、透き通った青い瞳でこちらを見つめ返している。部屋に差し込む淡い光が金髪の周囲を淡く透過し、時折柔らかな風に撫でられて揺らめいていた。
人形の少女がその作り物の瞳で見ているのは自分の姿ではなかった。それは永遠に連続する自分。年老いることもなく、少女の姿のままで、見えない消失点まで永劫の鏡像を紡ぎ出す。あたかも自分の瞳と影身の間に生み出された合わせ鏡の分身のように、果てしなく続く自我の存在。
「やあ、これは美しいお嬢さんだ…」
声がして振り返ると、そこにはR・ロビンと、見知らぬモノクルの男が大きな黒い鞄を持って立っていた。
R・ミシェルが、相手が何者か分からず、挨拶もせずに呆然と立ち尽くしていると、男の側に立っていたR・ロビンが小さく溜息を付き、ミシェルのだらしない身なりを取り繕うと、見知らぬ男に挨拶するよう優しく窘めた。
「殿方があなたの名前をお訊きになっているの。どうすればいいのかしら?」
R・ミシェルはそう言われ、膝を折って軽くお辞儀をした。
「初めまして。R・ミシェルです」
モノクルの男は、ミシェルの挨拶を見て笑顔を見せると、負けじと丁寧に頭を下げた。
「初めましてお嬢さん。私はパトリック・マクグーハン。アンドロイドのお医者をやっています」
医者と言われ、R・ミシェルは首を傾げた。オートマトンは病気にかかることもなく、怪我をすることもない。機械の人形は故障するだけで、それを修理するのは工場である。
「オートマトンは病気にはならないわ」
R・ミシェルは以前、R・ロビンと話をしたことを思い出してそう言った。すると、モノクルの男は笑顔をわずかに苦笑いへと変え、頭を掻いて見せた。
「いやあ、これはオートマトンの正しい反応だよ。だけど君たちもたまには人間の比喩的表現を素直に聞き流して欲しいものだ。ミシェル。僕はオートマトンの修理屋さんなんだ。専門分野はオートマトンの精神分析なんだがね。人間と構造が随分と異なるけど、オートマトンも精神に異常をきたすことがある。そうした症状を分析したりしているんだよ…」
「それじゃあ、私は病気にかかっているの?」
R・ミシェルは聞き返したが、病気というものがどういう物なのか理解できているわけではなかった。
「そう言う訳じゃないさ。病気にかからないよう、予防診断のようなものさ…。僕が診るのは心の病だがね」
「心の…病?」
「ああ、そうだよ。オートマトンの精神構造も人間と同じ位複雑で、まれに病気に…、いや、故障することもあるんだ。さあ、それじゃあ、そちらの寝台に座ってくれないか?」
R・ミシェルは促されるままに寝台に座り、Dr・マクグーハンも黒い鞄を下ろし、鏡台の前にあった椅子を寄せてR・ミシェルの前に腰掛けた。鞄の中からノート型のパソコンとコードを取り出すマクグーハン。マクグーハンはパソコンを起動させるとR・ミシェルの頭皮をめくり、現れた小さな開口部にコードを差し込んだ。
自分の頭の中をいじられると言うのは、R・ミシェルにとって初めての経験であったが、あまり良い気分のものではなかった。
「さて、三原則が正常に働いているか機能チェックをするよ。目の前に赤い文字が現れたら機能は正常だ。文字は現れたかい?」
マクグーハンがそう言うと、R・ミシェルの目の前に赤く光る文字が現れた。思わず、現れた文字を読み上げるR・ミシェル。