青の記憶 hopeless world-2
私は思う。
気の遠くなるような歳月は、確かに自然を再生させるだろう。
けれど、その前に、私たちは再生不可能なところまで行ってしまうのではないだろうか。
「まだ早いよ、真一。もう一度、外に出るって約束しただろう?」
それは上辺だけの慰め。私たちが生きているうちに、オゾン層が塞がれることは、決して無い。何百年という歳月だけが、それを可能にする。だから私たちにとって、世界とは、この生きるためだけの殺風景な空間を意味する。移住してきた当初は、何も無かったこの都市、けれど今は少しずつ街らしい景観を創り上げている。人々は、かつて日常だった街並を、十年かけて再構築してきた。それは私たちが外界に暮らしていた証であったし、決して忘れてはならないという誓いだった。
けれど、
私は天を睨む。
けれど、あの壁の向こう側とは違う。
自然の光があった。風が絶えず凪いでいた。自給自足の生活があった。笑顔が満ち溢れていた。大切な人がいた。
そして、見上げればいつも、そこには青い空があった。
だから私たちは生きていた。
広すぎる青が、いつだって私たちを勇気付け。
小さすぎる私たちは、絶えず空に憧れた。
そんな日々があった。
確かに、あった。
だから伝えなければならない。その素晴らしさを知ることの無い後世の人々に、私たちは語り継いでいかなければならない。
真一、まだ早いよ。
私たちはまだ、残すべき言葉たちを胸に秘めたままじゃないか。
「パパ、うちゅうって、なぁに?」
加奈は私の目を覗き込みながら、尋ねる。
「難しい質問だなぁ、誰から聞いたの?」
私は、更に加奈に顔を近づけた。近づけすぎて鼻と鼻がくっつくほどに。
「学校で習ったそうよ。」
そんなやりとりを見守っていた妻は、ふふ、と微笑みながら言った。
「そうかぁ、それじゃ教えてあげよう。私たちが住んでる上には外界っていうのがあって、更にその外側には、宇宙が広がっているんだ。」
加奈は首をかしげる。
「私たちがいる上って、真っ白い壁しかないよぉ?」
「違うんだ、加奈。あの白の向こう側にはね、もっと大きな青が広がっているんだよ。」
「じゃあ、何でお外に出ないの?」
私は返答に困り、妻に視線を向けた。すると彼女の目には涙が浮かんでいた。
―― じゃあ、どうして私たちは外に出られないのだろう
答えることは出来る。けれど今必要なのは、そんな夢の無い事実ではない。どうして私たちは、こんな目に合わなければいけないのか。
加奈に視線を戻す。彼女は真剣な眼差しで私を見つめ返している。
――― この子が太陽の光を肌で感じる日が、いつか来るのだろうか。それとも。
私は、両の手で加奈を抱きしめた。本当は生むべきではなかったのかもしれない。たとえそれが義務であったとしても、この子の未来を想うのなら。
そんな懸念を察して、妻は後ろから私を包み込むように抱きしめた。
「これで良かったのよ。これで。」
そう、これで良かったのだ。いや、こうしなければならなかった。私たちは、沢山の犠牲の上に立っている。だから立ち止まる暇など無いのだろう。
「いつかお外に出ような、いつかきっと。」
加奈をいっそう強く抱きしめる。
加奈、お前は一生青い空を見られないのかもしれない。
ごめん、パパを恨んでくれて良いよ。
けれどな、お前が描き続ける世界を、ずっと語り継いでいって欲しいんだ。
外界には、その価値があるから。
辛いだろうけれど頼んだよ。
お前はな、私たちと、いつか外に歩を向ける人たちとの間に架かる橋だから。
加奈が大きくなったら私はそう告げよう。
妻に包まれながら、子供を包み込みながら、私はそう思った。
それは外界滅亡から二十年後の昼下がりだった。