『約束のブーケ』-8
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透の兄、吉葉聡とは高校時代に透の家に遊びに行った時からの付き合いだった。
といってもそう頻繁に顔をあわせていたわけではなく、当時聡さんは大学4年生。
世間一般の大学生は就職活動という名の戦いを続ける戦士になるか、人生ドロップアウトの言葉を地で行く勇者になるかする物だというのが僕なりの見識。
聡さんもご多分に漏れず、教育実習でとある高校に赴任しているらしい。
基本真面目だが、適度に鷹揚としている人で、歩いているととにかく目立つ。
彼が行っている学校でも女の子の話題の中心になってるに違いない。
透が一回り成長したらこういう好青年になるのか、と思うと僕の後輩は実に前途洋洋だった。
吉葉聡と高崎修輔。
まるで反語のように、僕たちは何もかもがかけ離れていた。
「修輔は、人の目を見て話すのが苦手だな」
ノートに向かって英文を訳していた手を止めた。
僕は反論するつもりで彼を見たが、程なくして俯いてしまう。
聡さんが真っすぐ射るような目でこちらを向いていたからだ。
言葉で言い返すまでもなく、事実を肯定されてしまう。
「そうですね。自分でも直さなきゃなとは思ってます」
乾いた笑いで答えながらも、ノートから目を離せないでいた。
長年培ってきた悪癖はそう簡単に直るものではないことは、自分が一番分かっていた。
人を見るのが苦手というのは、少し語弊がある。
僕は怖かった。
他人の心は分からない。
何を考えてるか分からなければ、その口は一体僕にどんなひどい言葉を浴びせかけるのだろう。
一度疑ってしまったら、もう僕は前を見ることさえできないでいた。
その時は、聡さんもさぞ呆れたことだろうと思っていたんだ。
「優しいんだな」
「えっ?」
「優しすぎるんだよ、お前は。相手を傷つけるのが怖いんだ」
頬に肘を当て、聡さんはキッパリと言い放った。
「そんなんじゃないです。僕はただ…」
「そこ、oneが抜けてる」
聡さんが顎で示した先に、僕の崩れた字があった。
これでは彼が自分のことしか考えられないという意味になってしまう。
よくこんな汚い字が読めたな、と感心しながら僕は消しゴムを使って消していく。
そうなんだ。結局僕は自分のことしか考えられない臆病者なのだ。
「修輔の弾いたテープを聞いたよ」
と言って、聡さんは立ち上がると窓際にあるスチールラック上のラジカセに手を置いた。
聡さんに頼まれていた物を先日透に渡していたのを僕は思い出した。
最初はレコーダーに録音した物を渡そうとしたが、使い方が分からないというので自宅の倉庫から年季の入ったラジカセをわざわざ引っ張り出したのだ。
見まわしてみればこの部屋はテレビもPCもなく、代わりに古そうなキャビネットや本棚があるだけだ。