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『約束のブーケ』
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『約束のブーケ』-9

「流してもいいかな?」

僕が遠慮がちに頷くと、透さんは満足したような顔でラジカセのボタンを押した。
しばらくするとスピーカーから音がこぼれだした。
古い型式のラジカセなのか音質が悪く、雑音や音割れがひどかった。
それでも聡さんは気にいってくれたらしい。
そのまま窓を開けて手すりに寄りかかり梅雨明けの澄んだ風に身を任せた。

「最近、これを聞きながらこうしてることが多いんだ」

聡さんの長い前髪が風に吹かれてゆらゆら揺れていた。
ベランダの外には鉢植えが置かれていて、少し甘い匂いが鼻を突いた。

「何も考えない。ただボーっとしてる。次第に眠気が襲ってくる。うとうとしてると色んな事が頭を巡ってくる。それでまた目を覚ます」

彼はポツリポツリと数えるようにゆっくりと話した。

「修輔の目から見て、うちの弟はどう映ってる?」

「透ですか?良いやつですよ。僕みたいなのにも普通に接してくれる」

「あいつさ、前はそんなんじゃなかったんだよ」

「どういう事ですか?」

「登校拒否してたんだ。中学の時に」

初耳だった。
僕が見る限りの透は気のいい後輩で、教室の中心地域にいつもいるようなやつだと思っていたから。

「ありふれた話さ。誰とも話せなくて孤立してたんだ。昔の透はいつも無口で教室でも家でもずっと本ばかり読んでいて、俺でさえ何を考えてるのか分からない所があった。クラスに一人は必ずいる、影のような存在だったんだ」

聡さんの話に相槌も打てないままじっとしていた。
自分の話を聞いているような気がして、胃の辺りがぐっと持ち上げられたような圧迫感を覚えた。

「正直、俺も親もお手あげだったんだ。学校に行くのが嫌というよりは、興味がなさそうだったからな。ただ無理強いさせるのは本人によくないって先生も言ってたから、誰も強く言えなかったんだ」

透が僕と同じ世界を見ていた。
にわかには信じがたい、だが聡さんの話なら真実だ。
なら、なぜ・・・?
透は今ああして笑っていられるのだろう。

「俺は透の見ている世界を広げてやりたかった。それは学校に行くことだけが正解じゃない。だから手を尽くして、色んな場所に連れてってやったんだ。母さんと俺と3人で、時には親父さえ巻き込んで。大変じゃなかった、と言えば嘘になるけど、家族の時間が増えることもアイツには大切なことのように思えたんだ」

「それで透が立ち直ったんですか?」

「いや、違う」

聡さんが僕を真っすぐに見た。

「とあるピアノの発表会を見に行った時だ」

その単語に反応して、背中が総毛立った。
「透と同じ中学生だった。演奏が始まった途端、アイツの目の色が変わったんだ。まるで目が覚めたみたいに。俺が親に言って、関係者から音源をもらって透に渡したんだ。夢中になって聞いてたよ。テープが擦り切れるまで、何度でも。俺がそれをつついてやったら、見たことのないような顔でこう言ったんだ。兄ちゃん、こいつスゲーって。透はピアノなんて触ったこともないけど、自分とそう変わらない年のやつがこれだけのことができるって思ったら止まらなかったんだろうな。学校にまた通いだすようになるまで、時間はかからなかった」

流れていた曲が終わりに近づき、聡さんはスイッチを押して演奏を止めた。


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