異界幻想ゼヴ・ヒリャルロアド-21
その日、深花は厨房に顔を出した。
「こんにちは」
市場で買ってきた野菜や肉を仕分けしていたコックが、深花を見て目を見張る。
「ど、どのようなご用件でこんな所までおいでに?」
慌てふためくコックに、深花は用件を伝える。
「家を出るまでのジュリアスの好物が知りたくってお邪魔しに来たんです」
用件を聞いたコックは、妙な顔をした。
「坊ちゃまの好物?」
「はい。色々あって疲れてますから、好物をご馳走してあげるのも疲労回復にいいかなあって」
なるほど、とコックは納得する。
それが恋人の手作りなら、美味しさも効果も倍増だろう。
健気な事を考える女だと、コックは感心した。
「いいですとも。坊ちゃまがお好きだったのは……」
小一時間後、出奔前のジュリアスが好んで食べていたというチーズたっぷりのキッシュと冷製のオードブルが完成した。
リラックス効果のあるハーブティーも添えてやれば、時間的にもちょうど昼食の時間である。
コックの焼いた焼き菓子を分けてもらい、深花は作り立ての食事をワゴンに載せてジュリアスの私室へ行った。
部屋では父との対話を中断したジュリアスが、疲れた顔で椅子に沈み込んでいた。
「お昼のデリバリーでございまーす」
わざと呑気に言って、深花はテーブルの上にセッティングを始める。
「コックさんに聞いて、昔の好物を作ってみたんだ。割とうまくできたよ」
「……お前の手作りか」
「うん。うちのお母さん専業主婦なんだけど、料理があんまり得意じゃなくってね。おばあちゃんが生きてた頃は一緒に作ってたし、死んじゃってからはほとんど毎食私が作ったし……そんなに腕は悪くないと思うよ」
真ん中に置いた皿へ切り分けたキッシュを盛りつけると、ジュリアスを促す。
「あったかいうちにどうぞ」
「ん……」
沈んだ体を億劫そうに起こし、ジュリアスはフォークを手に取った。
一口分のキッシュを口に放り込んだジュリアスが、咀嚼しながら目をぱちくりさせる。
「……うまい」
「気に入った?」
「入った!」
目を輝かせてキッシュをぱくつき始めたジュリアスの隣へ陣取り、深花は昼食を給仕した。
あっという間に食事を完食したジュリアスはハーブティーをがぶ飲みし、満足そうにくちくなった腹をさする。
「……あ」
腹をさすってから、ジュリアスは深花に目をやる。
「全部食っちまった……お前も、昼飯まだだったんだろ?」
「私は、あんまりお腹空いてないもの。大丈夫」
肩をすくめて、深花はそう答えた。
キッシュは二つ焼いて出来のいい方をジュリアスに出したので、厨房に戻れば自分の昼食はいつでも済ませられる。
今は自分の腹の減り具合より、疲れの見えるジュリアスの状態を立て直す方が先決だろう。
「すぐには話し合いに戻らないんでしょ?」
「あ?ああ……もう少ししてからな」
それを聞いて、深花はジュリアスを抱き寄せた。
胸の膨らみに、想い人の顔が埋まる。
「あんまり無理しないでね。すごく頑張ってるのは見てれば分かるから、けっこう心配しちゃうし……」
幼い頃に母を亡くして以来、裸にならずに女の乳房へ顔を埋めるなんて真似をしてきたとは思えないこの男にこんな慰めがどこまで通じるのかは、深花自身にも分からない。
でも、何かをしてあげたかった。
「ジュリアス?」
何のリアクションもないので声をかけると、ジュリアスの手が伸びてきて背中に回った。
この体勢、どうやらお気に召したらしい。
しばらく胸に顔を埋めていたジュリアスが、不意に顔を上げた。