『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-29
第十話 《変後暦四二四年二月四日》
「そうですね…何からお話致しましょうか………」
ふぅと息をつき、『クリス』は、目線を遠くにやった。
「とりあえず、俺が……撃たれたのか…?まぁ、その辺りから頼む。」
記憶が定かではないため口調も不確かになりながら、エリックは言う。
「…はい……了承致しました。」
『クリス』はそう言って、その時の様子を語り始めた。
「ぱすっ」と、空気が抜けるような音がした。
銃口を突きつけられていたエリックが、崩れ落ちる。
「エリック……」
『クリス』は、倒れたエリックを抱き起こした。
「………」
反応は無い。ゆさゆさと揺すっても同じことだ。
死んでいる。そう思った。
「エリック……?」
しかしそこで気付いた。抱き起こしたエリックの身体には、撃たれた腕の傷以外に目立った損傷が無かったのだ。
「……?」
じわっ、と。
思わず呆気にとられていた『クリス』の、地につけていた膝に、何かが触れた。
赤い水。いや、赤い液体。衣服を、膝から赤く濡らして居る。
その中に沈む、大きな塊。
あの、銃を持っていた男だった。
彼が、血溜りに倒れていたのだ。
「……何故……」
エリックを横たえると、『クリス』は男に近づき、調べる。
見れば、男の即頭部から、だくだくと血は流れ出していた。
死んでいる。明白だった。
『クリス』が男の冥福を祈っていると、横に駆け寄る気配。
駆け寄った気配へといつもの微笑を作って振り向くと、言葉をかける。
「……お仕事、ご苦労様です。ご心配をおかけ致しました。」
駆け寄った気配………公園からエリック達を追っていた数人の男は、黙って『クリス』の前に跪いたのだった。
「と、いう訳なのです……」
その時の情景でも見ているかのように遠い目をして、『クリス』は言った。
「……すまんが、訳判らん…」
エリックは、素直に率直な感想を述べる。
それはそうだ。『クリス』の話は難解を通り越して意味不明である。
「つまりエリック、貴方を狙っていた方は私達を追っていた方々に撃たれ、貴方は間一髪で絶命を逸れたのです。貴方は撃たれたと思い込んだショックと記憶の混乱によって、気絶なされたのでしょう。…幸運を与え給うた神に感謝を。」
言い終え、嬉しそうに『クリス』は笑う。
「…そうか、確かに運が良かったな………じゃない。何故そうなったかが判らないんだ。何故俺を狙った奴を、俺達を追っていた奴が撃つんだ?お前はあいつ等の何なんだ?」
エリックは至極言い難い文章を、まくし立てるように『クリス』へと投げかける。
さっき一瞬納得しかけたのは、ご愛嬌である。
「……そうですね………お話しすると言ったのは私です。きちんとお話し致しましょう。」
言いたくない事を言おうとするかのように、『クリス』はため息をつく。
相変わらず表情は笑顔なのだが、緊張しているかのような雰囲気が感じ取れた。
「……彼らは私の親衛隊……私を影ながら監視し、守るのが仕事なのです。貴方とお会いした時、私は彼等の監視を逃れてあの場所に居りました。」
やや困ったような微笑から、エリックの予想だにしなかった言葉が発せられる。
いや、どこかで予想していたかもしれない。無意識に。
「…お前…本当に何者だ……?」
兼ねてより抱いていた疑問を、驚きも含めてエリックは問う。
「私は…私です………」
当然の事のように、『クリス』は答える。
その答えに、やっぱりはぐらかされるのかとエリックが脱力しかける。
だが。
「そう…私は私。どう名前を変えようと、私は私でしかないのです。」
何処か自分に言い聞かせるように、『クリス』は呟く。
「……?」
その意味ありげな言葉に、エリックは眉をひそめる。
「……貴方とご一緒し、『クリス』で在った時も……」
エリックには構わず、『クリス』は言葉を紡ぐ。
エリックに聞かせているのではないかのように。
「……私の本当の名は、ルキス=バラク。それ以外の存在にはなりえないのです。」