『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-123
…………。
返答を待つ時間が、無限にも思える。視界が、ぐにゃぐにゃとし始めた。もはや限界なも近いと、エリックは自覚している。
「まぁ、冷凍状態の体を補完する事なら可能だ。体に付着した金属の処理が厄介だろうが、実際に見てみなければ判らんな」
YESともNOとも明言しないその言葉は、エリックを苛付かせた。ちらりと希望を覗かせてエリックより上位に立とうというナインの魂胆が、見え見えなのだ。
これでほいほいとクリスを見せに研究所まで連れて行けば、ナインの思う壺だろう。
だが……
「……判った。まずはクリスの所に連れて行く」
熱に浮かされたエリックの頭は、見えた微かな希望にすがる事を選んだのだった。
「エリックさん、無事でしたか!」
かけられたアルファの声で、エリックは我に返る。
エリックと同じようにガスマスクをつけたアルファが、トレーラーの運転部から降りて、駆け寄ってくる所だった。ぼんやりと考え事をしていた内に、いつの間にかトレーラーのすぐ傍まで歩いてきていたらしい。本格的に血が足りないらしいと、エリックは軽く頭を振る。
「あぁ、特に問題はない」
「良かった…………あの子は?」
少しだけはっきりしてきた頭でぶっきらぼうに告げるエリックに、後ろからついてきたナインを見つつアルファが尋ねる。どこか不思議なものを見るような目には、ナインに対して何か違和感のようなものを感じている様子が見て取れた。
「……地下に居た生き残りだ。ナインというらしい」
あとはナインが上手くやるだろうと、エリックはそれだけ説明してさっさとトレーラーへと乗り込んだ。バレるのではないかという心配が無きにしもあらずだったが、アルファの様子を見る限り決定的なものは感じ取っていないと見て良いだろう。
今はとにかく休みたかった。
「ナイン……それがキミの名前なの?」
後ろの方で、アルファがナインに向かって優しく問いかけている。やはり、そこまで心配しなくても良さそうだ。
「はい、ナインと言います!」
やけに無邪気で、やけにハキハキしたナインの声が聞こえたような気がした。普段のナインよりもむしろ気味が悪いななどと思いつつ、エリックは運転部へと身を持ち上げる。
トレーラーの高いステップが、今のエリックには少しキツかった。
「おかえりなさい、エリックさん」
エア・コンプレッサで付着したナノマシンを落として運転部に入ったエリックに、突然声がかけられる。運転席で、彼女には不釣合いに見える無骨なハンドルを握ったアリシアだった。待機していた他の兵士達も、幾分よそよそしくはあるが好意的な挨拶をしてくる。今回の裏方仕事をしていた整備班の面々だ。アリシアが班長らしい。
アーゼンのパイロット達は貨物部に居るのか、運転部には居なかった。といっても、パイロット達の顔を知っている訳ではない。トレーラーに乗り込む時も乗り込んだ後もベルゼビュールの中に篭っていた為、エリックは他のパイロット達とは顔を合わせなかったのだ。理由としては単に面倒だったからというのもあるが、なるべくアルファと顔を合わせたく無かったというのが大きい。
それなのに何故パイロットが居ないと思ったかといえば、挨拶をした面々の中に、パイロットの声はなかったからだ。まぁ、会話すらしなかった義足のアーゼンのパイロットに関しては、その限りではないが。
ともかく。アリシアにかけられた声に、エリックはふと、言葉に詰まった。
「……ん…」
ただいま、というのも何か違う気がした。
短い間ではあったが生死を共にした、いわゆる仲間達の居る空間。それは、本当なら自分の居場所となりえたかも知れない。
だがそれも、もはや過去の事だ。ナインに通じた瞬間から、アリシア達はエリックにとって油断のならない相手なのである。
「あぁ」
結局。エリックはそれだけ返すと、ふらつく足で貨物部に向かった。アリシア達整備班の放っている、弛緩した穏やかな空気には耐えられそうもなかったからだ。
彼らが穏やかであればあるほど、自分のしでかした……いや、しでかそうとしている事の恐ろしさが浮き彫りになるようだった。
「………てめぇか……」
貨物部に入ったエリックを認めた男が、何の感慨も無く言った。伸びた黒髪を後ろでまとめただけの男の声に、エリックは聞き覚えがあった。
「……お前がアレク、か」
事ある毎につっかかってきたアーゼンのパイロットは、しかし今やエリックに何の興味も持っては居ないようだった。
仲裁に入るグリッドが居ないため好都合とも言えたが、今のエリックの気分からすれば、アレクとのギスギスした空気の方がしっくりくるような気がしていたので、拍子抜けした気もある。
「……グリッドはどうした? 連結部にも居なかったが」
トレーラーは操舵部(運転部)、連結部、貨物部でなりたっている。貨物部に入る為には必ず連絡部を経由するのだが、連結部には誰も居なかった。