第12章-2 -1
弦一郎は定例会を終え、アポイントを取った先にタクシーで向かった。向かった先は雑居ビルの立ち並ぶいかがわしさの漂う歓楽街だった。鼻の下を伸ばす老若の男たちにしなだれかかる化粧の濃い女たち。以前なら弦一郎もその中でいっときの遊びにうち興じていただろうが、今はそれどころではない。
ピンク色の風俗店の入り口脇の小上がりを上がってエレベーターのボタンを押す。
3人入ればいっぱいになるような狭い箱に乗り込み最上階に向かった。エレベーターのドアが開くとそこはビルの外観からは想像もつかない豪奢な大理石の玄関が広がっている。
『お入り下さい』来客を察してパーテーション越しから野太い声が響いてきた。
びくりと弦一郎は反応すると、舎弟と思しきチンピラ風情の若者が出迎える。
『どうぞ。こちらに。若頭がお待ちかねです』と弦一郎を招き入れた。
通された和室には明らかに違法の虎の剥製が飾られ、恐らく届出もされていない日本刀が床の間に鎮座している。それを背負って丹前を着た大男が弦一郎に座布団を進めた。
関西に本拠地を置く広域指定暴力団の最大組織、親和会の最年少若頭、林一に会うのはこれで三度目であった。最初は皮肉にも神戸の葬儀の席だった。二度目はその当時飛ぶ鳥を落とす勢いの壮年だった林が鳴り物入りで関東進出を図った時、彼から直々に挨拶があったのである。ちょうどゆりえと離縁した直後の事だった。それから数年で目の前の男は更に大きくなっている。それに引き換え自分はどうだ―。
弦一郎は砂を噛む思いで進められた座布団を脇にやり、『よろしくお願いします』と、土下座をし、頭を擦りつけた。
『―それで、その村枝さんの仰る“村”ってのはほんまに現存するんですかな。検索しましたが地図にも載っていないようですが』慇懃に目の前の男が問い直す。白髪の混ざり始めた五分刈りに鋭い一重眼、何度も修羅場をくぐってきたであろう肝の据わったその面構えを太い猪首、更に広く分厚い肩が支えている。
『ございます。私の先祖は代々そこと行き来して参りました』
『…で、場所の詳細はあとで伺うとして、我々に具体的にどうして欲しいんで?』
『娘の早希がその山林にいるはずなのです。娘を救い出して欲しいのです』
『そこに居る、とするあなたの根拠をお教え頂きたい。こちらも人員割いて遠路はるばる出張る以上、徒労には終わりたくないのでね』そう更に問い質す。
『まず拉致監禁した慧次郎とゆりえ親子の出自がその根拠です』弦一郎が居住まいを正して林に書面を広げてみせた。
『これは、6年前に興信所に調査させたゆりえと慧次郎、そして前妻早栄の関係に関する報告書です』
そこには、PCで作成した家系図と戸籍抄本のコピーがプリントされていた。
『ゆりえは旧姓神山と言いますが、その実の父親、神山富雄にはゆりえを含めて三人子供がおりました。だが富雄は上の二人を村の縁戚に養子にやり、末のゆりえだけを連れて都内に居を構えてこちらのある政治家の秘書になったのです』
『はぁ…何やら理解しづらい話ですな。秘書、と言えば代々、親から子に引き継がれる仕事と相場が決まっている。それがまた、何だって三人の子持ちの男が…』林は射ぬくような目で弦一郎を見やった。
やはりこの男、最年少で若頭になっただけの事はある。はい、そうですか、と話を呑んでくれる気はさらさら無いようだ。弦一郎は不承不承、山林一族の事を打ち明けた。
弦一郎の話を黙って聞き終えると林は『…つまり、その政治家が成功したい一心でその一族を引き入れた、いうわけですね。彼らにはそうした力がある、と』林は、弦一郎の説明を聞き、そう次いだ。
弦一郎は林の表情を恐る恐る見たが、バカにしているようでも眉唾話だと怒っている様子もない。ホッとして弦一郎は続ける。
『で、村に残って養子になったうちの一人が早栄だったのです。つまり二人は実の姉妹なんですよ』そう話し終えると調査報告を聞いた時の驚きと恐怖が蘇り、弦一郎の背筋には厭な汗が滲んだ。
ゆりえは早栄の娘を取り戻すつもりなのだ。山林一族との盟約を破った弦一郎の元から―。
依頼は何とか受理され、手付金の入った分厚い封筒を渡すと、弦一郎は再度頭を畳に擦り付け部屋を辞した。