第12章-1 -1
『なん…だと!?』弦一郎は社長室で経営企画室長である早希の婚約者、氏家晃司からの報告を受け、思わず声を荒らげてしまった。
弦一郎は今年初め、イタリアの老舗グロサリー、『ベルピアーティ社』とライセンス契約を結び、日本初のベルピアーティブランドのリストランテをオープンする事に決めていた。だが、ギリシャの破綻がイタリアに飛び火し、イタリア国債の利回りが下限を更に切ると、それを大量に保有していたベルピアーティ社の経営は一気に悪化した。そしてその利回りを見越して支店拡大していたイタリア国内での同社の経営が立ち行かなくなったのだ。
『恐らく早晩の倒産が目に見えております』重々しい表情で氏家は断じた。
ベルピアーティの為に今までどれほど資金を投じたと思っているのだ。来年のオープンに向けて青山の一等地を買い上げ、既に更地にしてしまっている。弦一郎は頭を抱えた。
そして嫌な予感が現実のものになった事で早希のいない恐怖が頭をもたげ始める。
『氏家くん…。こうした場合、どうすればいいのか。訴訟はできないものか』いつになく気弱になった弦一郎は、目の前の俊才、氏家に縋るような目を向ける。
氏家は嗤いそうになるのを抑えた歪んだ表情で『社長、裁判にかけた所でムダですよ。先方はこれから破産が待ってるんです。こちらから働きかければ先方の思うツボです。今のプロジェクトの社内でのクローズと先方からの契約破棄を待つしか今打てる手立てはありません』シャープさを見込んで総合商社から引きぬいた才気煥発な未来の娘婿は、冷たくそう返答した。
早希の行方不明は既に氏家はおろか、社内にも知れ渡っている。
早希の行方が分からなくなってから一週間後、止むを得ず氏家に報告した時、彼の反応に弦一郎は皮肉にも自分と同種のものを感じさせられた。
『氏家くん…大変な報告を君にしなければならない。実は…有休を取って休んでいる早希なんだが…実は連絡が取れなくなっているのだ。…警察に失踪届けと捜索願いも出した。すぐに見つかると思っていて婚約者の君への報告が遅れて…』“すまない”と、頭を下げながら続けようとした弦一郎の言葉を途中で遮って氏家は『なるほど…。その原因はどこに、あるいはどなたにあったと社長はお考えなのでしょうか』細身長身の体をすっと伸ばし、短躯の弦一郎を見下ろすようにそう訊いた。原因次第ではこちらから願い下げである―そう、言外に含んだ物言いだった。揉み手をするように三拝四拝して会社に来てもらった自社担当だった敏腕商社マン、氏家は、弦一郎が見込んだ通りの男だった事を皮肉な形でまざまざと思い知った。
そもそも最初から力の差は歴然としていた。氏家の手腕は外から聞く以上に優れており、老いを感じ始めていた弦一郎は氏家に全く頭が上がらなくなっていた。その矢先に娘の失踪である。さすがの弦一郎も氏家には逆らえなくなってしまっていた。
このままでは経営は氏家のものになってしまう。
―何としてでも早希を取り戻さなければ。
警察庁にいる同窓もあてにはならなかった。かくなる上は―。
氏家が社長室を辞すると、汗で冷たくなった手を伸ばし、受話器をとって電話をかけた。