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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 3話-13

「ここがそうなの?」

ヘルメットを脱いで、日下部が訊いた。僕のベスパの後をのろのろと付いてきた彼女のバイクは、欲求不満を訴えるかのように、カンカンカンカン、とマフラーを鳴らしていた。

「そう。ここだよ」
「バーを兼ねたドライブインといった感じね。趣味悪い。ろくでもない人間の集まる場所だ」
「同感」

店の中に入ると、狂ったような音楽が耳朶を打つ。何が狂っているのかは分からないけど、とにかくまともな音楽ではなかった。薬漬けになった人間の思考回路を音符に変換したような代物で、あまり好きになれない。壁際にあるレトロなジュークボックスがそいつを撒き散らしている。何だか、蹴飛ばしてやりたくなる。

「今日はやかましい曲だね。この前まではジャズだった」
「知ってる曲。何年か前に拳銃で自殺したアメリカのロックバンド。兄が好きだった。ジャズ? 私はどっちも趣味じゃない」
「どんなのが趣味?」
「音楽自体、趣味じゃない」
「なるほど」

僕は日下部と一緒に辺りを見回した。沢崎は何処だろう。
うらびれた男が一人、バーのスツールに腰をかけて、沢崎の父親に一方的に話しかけていた。沢崎の父親は辟易した顔で男の話を聞きながらグラスを磨いていた。舌打ちしたいのをじっと我慢しているような様子だ。客の男は隙の無い身なりをした中年男性だが、ひどく酔っぱらっていた。酔っぱらいのステレオタイプといった風情の彼はいやに饒舌だった。意思とは関係なしにお喋りが止まらないといった感じだ。起きぬけから夜に眠るまで延々とアルコールを接種し続ける類いの人間かもしれない。もしそうだとしても、彼がどうしてそんな人間になったかは誰にも分からない。あの手の人間に事情を訊いたところで、返ってくる言葉が事実であるという保証は何処にもない。そもそも事実を覚えているかどうかさえ怪しいのだ。あんな大人になりたくはないなと僕は思う。

「いるよね。ああいう人。私の叔父もあんなだったよ。数える程しか会ってないけど、いつもああいう感じ」

侮蔑するわけでもなく、貼り紙の内容を読み上げるように事務的な声で日下部は言った。

「酒か。君は飲めるの?」
「飲めるんじゃない? ガソリンじゃないんだからさ」
「それもそうか」
そんなことを話していると、沢崎の父と目が合った。「あっちだぞ」と言うように彼は顎をくいっと上げる。その先に目を遣ると、衝い立てで仕切られたボックス席があった。なるほど。あそこなら人目にも付かないし、少しは落ち着いて話せるだろう。

僕は沢崎の父に軽く礼をして、ボックス席へと向かった。日下部は何も言わずに付いてくる。席へと入ると、衝い立ての影に沢崎拓也がいた。ビール瓶と、灰皿と、バイク雑誌。呆れるほど堕落した高校生だ。

「よお」と彼は言った。
「やあ」と僕は返す。
日下部だけが無言だった。
「ん?」
咥え煙草のまま、沢崎が片方の眉だけを器用に上げて言った。「志野、誰よ、こいつ」と。
「日下部沙耶だよ。テストの問題を買った“被害者”の一人だ」

僕の紹介に、沢崎は中性的な切れ長の目をさらに細めて見せる。観察、そして傲慢な価値観で値踏みするようなふてぶてしい目。

「知らねぇなあ」

気に入らねぇなあ、と言うような口調で言い放つ沢崎。ニコニコしろとは言わないが、もう少し穏やかな対応はできないものか。


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