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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 2話-17

いつもとは違った騒々しさに包まれた教室の中に、ドアを開けて融和する。流されるように席に着いて、鞄から教科書を取り出した。今日は世界史のテストがある。問題用紙は持ってきていなかった。答えは昨日のうちに暗記してあるけれど、満点をもらうことはできないだろう。世界史と倫理を担当している相良は厳格なのだ。授業を真面目に受けていない生徒が満点を取れるようなテストは作らない。つまり、授業中に教科書には載っていない知識をコソッと披露して、「大したことではないけれど一応ね」といった感じで黒板の隅に書き留めておく。生まれて数十分後には跡形もなく消される運命のその知識が、ひとつかふたつテストに出題されるというわけだ。今回のテストにもそんな問題があって、やっぱり教科書を開いただけで答えは見つからなかった。今時、インターネットで検索すればすぐに答えは解るのだろうが、ノートを録るどころか授業さえ録に受けていない自分が正解しては、怪しまれるかもしれない。そんな心配だって、恐らくは杞憂に終わるだろう。それでも、余計なリスクは排除しておきたかった。一割にも満たない点数稼ぎに固執して、悪事が露見するなん
て、どう考えても割りに合わない。

予鈴が鳴ってすぐに、日下部沙耶が登校してきた。さすがに試験日まで遅刻する気はないらしい。にも関わらず、我関せずといった風情は相変わらずだ。気まぐれで早起きした日に、たまたまテストがあっただけ、という感じだ。

彼女は自分の机に鞄を置くと、そのまま振り向き、机の縁に腰をもたせかけて僕を見下ろす。
目の前にすらりと伸びた脚があり、そこから目線を上げると、ガラス玉みたいに温度のない瞳とぶつかった。

「おはよう」と彼女は言う。人として当たり前の挨拶なのだが、彼女が口にすると、自動改札機に「おはよう」と言われたような違和感がある。

「おはよう」と僕も言った。それはやっぱり、開いてくれた自動ドアにお礼を言うような不思議な気分だった。

「おはよう、だってさ」と彼女は薄く笑った。その笑いは自分のおはように対してだろうか。僕のおはように対してだろうか。

「なにか?」
「すごく、久しぶりに口にした気がするよ」
どんな生活を送ってるんだ、この女は。
「確かに。君に“おはよう”何て言うの、僕も初めてだしね」
「いつもこんなに近くにいるのにね」

そう言う彼女は、もう笑ってはいなかった。いつものペルソナ的無表情で向き直り、椅子に座る。
それだけだった。後は振り返ることもなく、机に突っ伏したまま微動だにしない。

日下部沙耶の本日の下着は――淡い紫色だった。

制服のブラウスを透かしてほの見える色合いは、何となく僕を落ち着かない気持ちにさせる。
僕は彼女のブラジャーのラインをぼんやりと眺めながら、さっきのやり取りは何だったのだろうかと考える。答えはすぐに出た。

――おはよう。きっとそれは単なる挨拶ではない。共犯者の印。

他の誰にも解読不能な、僕らだけの暗号を内に秘めた四文字。

その借りの姿が毎朝、億単位で交わされる退屈な挨拶の形をしているなんて、なかなかひねくれたセンスをしているじゃないか。それこそ十代の女の子が黒や紫の下着を着けることくらいひねくれている。

変な奴。それが今までの彼女に対する印象。今も変わらない。よく分からないけど、何だか面白い奴。ただ、そんな感情が加わったことだけは感じていた。
理解不能な日下部沙耶の人となりが、僕の中で少しだけ、好意的な方向にシフトした瞬間だった。




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