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熊次郎の短夏
【家族 その他小説】

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熊次郎の短夏-4

三十分ばかし経って、熊次郎はようやく腰を上げた。

小便をし、歯を磨き、顔を洗う。
朝飯は、ごはんと梅干のみ。
朝の日常的な行為を淡々と済ましていく。

熊次郎は、朝飯を食う前にピタッと体を硬直させた。
眼は白飯のほうを向いているが、どうやら意識は別のところへあるらしい。
眉ひとつ動かさず、ジッと身を固めたまま何かに神経を向けている。

「ふううぅぅ……」

しばらくして、熊次郎は不意に大きな溜息をついた。
どこかガッカリしたような憂い顔は、昨日まで見せていた気質の高そうな表情とはまるで違った。

「はあぁ……帰っちまったか……」

ぼそりと呟き、白飯をかっこむようにして口の中へ入れていく。
喉が苦しくなると麦茶で無理やり流し込み、また口いっぱいに白飯を詰める。
苦しいのか悲しいのか、熊次郎は飯を食いながらボロボロと涙をこぼしていた。



チィン、チイイィ―――ン


線香を焚き、仏壇の前で正座をし、手をしっかりと合わせて頭を下げる熊次郎。
閉じた瞼の裏にどんな言葉を浮かべたのか……小さく丸めた背中が、強弱をつけながらヒクヒクと震えている。

絹江……毎年毎年、ほんとにありがとう。
お前が帰って来るとは一年のうちのほんの僅かな時間だけばってん、それでも俺にとっちゃあ最高に嬉しか。ありがとう。
五年前にお前が死んだとき、オラぁ、オラぁな、毎日んごつ泣きよった……。
もうほんとに……ほんとに……俺も死のうかいって何回も思ったもん。
ばってん、初盆の時に何か知らんばってんお前の存在ば感じたとよ。
だけんな、江願寺の信道さんに相談したったい。
そしたらな、来年からの盆期間中はしっかりと音に気をつけとけ、って言われた。
奥さんは家の中にしか帰って来られん。それに、おそらく四日から六日ほどしか滞在できん。
奥さんが帰ってきたら、必ず家の中の空気の流れが変わるけん、それを懸命に感じること。
あと、なにかしら音を発生させてくるけん、それも意識しとくこと。
ちゃんと呼び馬、送り馬もキュウリとナスで作らなんよ。そして絶対に気をつけなんとが、決して奥さんに声を掛けてはダメ。奥さんは自分の存在を人間に悟られたら、もう二度こちらの世界には来られんようになるけん、絶対にそれだけは守らんば。奥さんへの言葉は奥さんがあちらの世界に帰ってからたっぷりと仏壇の前で言うてやんなさい……だと。
だけんな、おらァ、お前が帰って来とるって気づいても……なんも声ば掛けられんとよ。

ごめんなぁ。

ごめんなぁ。

お前がいま目の前におる、そう感じても声が出せん。
声ば掛けたかァ……。
声ば掛けてあげたかァ……。
ばってん、そがん事したらもうお前に会えんごつなる……。

おらんようになってから言うたって、はたしてお前に俺ん思いが届くかどうかか分からんばってん……おらァ、おらァな……寂しかァ……。
絹江が帰っていった後が、いちばん寂しかァ……。

嗚咽を漏らしはじめた熊次郎が、合わせた手を顔に持っていきながらスウーッと上体を前へ倒していく。
そして、こつんっと畳の上に頭を落とした。


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