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【イムラヴァ】
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【イムラヴァ:第一部】四章:気高き翼の音-4

 「お前の命のために、そうしたのだ」半ば自分に言い聞かせるように、断固とした口調で彼は言った。 
 それでも、彼女の傷には触れようとはしなかった。アラン自身ですら、あの傷跡に手を触れようとは思わない。だが、もしそこに触れたとして、指先に感じるのはなんなのだろう。ふさがった傷跡、あるいは、ようやく傷口を覆った瘡蓋か……あるいは、膿か。
 幼く、無邪気なアランは、自分が男として生きなければ行けないのは何故かと、いつも質問したものだ。教会の洗礼を受けられないのも不思議だった。一時期など、自分は女になり損ないの親無し子だから、他の人が当然のようにしていることを許されないのかとも思っていたのだ。しかし、帰ってくるのはいつも同じ答えだった。命のため。さらなる質問を許されたことはついぞなかった。いつしか彼女は、自分は女ではないのだと思う方が楽になった。暗い一面に追いやり、鍵を掛けてしまっておくべきもの。それがアランの女の性だった。男として生きねばならないという事が、結果として彼女の命を救うことになったのだ。それを、この場にいる2人とも、よく判っていた。
 「お前の血の中には、エレンの民にとって大切な物が流れているのだ。お前が女のままで元の名を名乗れば、命を狙われる恐れがあったのだよ」彼は言った。彼女の暗い部分には触れないままで。
 領主は、部屋に入った時からもう十も年を取ったように見えた。彼は口を開いた。鶫の子らしからぬ、深く沈んだ声で。
 「お前の本当の名は、アラノア・タリエシン・グワルフ」領主は一息に言って、すぐに次の言葉を継いだ。「お前はエレンの王の子……そして、私の妹、アデレードの娘だ」
 彼女にはわかっていたのだ。心のどこか、いつも彼女に語りかける何かが住んでいる、心の片隅の部分で。
 「はい」アランは言った。こういう日が来ることはわかっていたはずだった。自分が何者か、それもうすうす気づいていたはずだ。それなのに、自分の真の名前を与えられた瞬間、どうしようもない恐怖に見舞われた。膝から力が抜け、首筋を震えが駆け上る。
 エレンの王。エレンの王!その肩書きを、その血を背負って、自分は一体何をすればいいのだろう?
 「お前もじき十六だ。老いた領主が、お前のような子にしてやれることは少ない……せめて自由を授けよう。もう、私の命じるままに、己を偽る必要もない。身を守るすべは授けたつもりだが、女としての幸せを得ることも出来よう。もちろんここにとどまる必要もない。好きなところにゆけばよい」
 「ですが……ですが、エレンは……」
 「エレンはもう無い」ヴァーナムは淡々と言った。アランが驚きに目を見張った一瞬の間、その言葉を発した自身に雷が落ちるのを待つように、彼は目と口を閉じた。しかし、何も起こらない。それは二人の心の中だけに残った。
 「私はお前の叔父だ。たった一人の肉親だ。私は何よりもお前の幸せを望む……誰を裏切ろうと、お前が幸せであればいいと思ったのだ」力と威厳に満ちた養父の像が、不意に揺らいだ。一人の男――すでに滅んだ王家に妹を嫁がせた男の顔には、アランが見たこともないような切実な表情が浮かんでいた。
 「私本当はお前が王であると言うことも話さずにおくつもりだった。自分の思うままに生きればよい。死んだ王朝の影を背負って生き続けることなどない……しかし……自分を偽らずに生きるために、お前には真実を教えてやらねばと……」
 アランは立ち上がった。彼女は彼のそばに跪き、以前と同じ愛情を持ってこう言った。
 「わたしの名は、あなたが呼び、慈しんでくれた名。アラン・ルウェレンです」それから、こう付け加えた。「自分を偽ったことなどありません」
 すると、領主は優しくほほえんで、頭をなでた。
 「お前はあの子によく似ている」彼はつぶやいた。失われた人の面影を、生きている者の上に見るのは、これが初めてではない。その後に残るのが悲しみだけだったとしても、アランの中に喪われた妹の姿を探さずにいることは出来ないだろう。
 節くれ立った手が、心なしか震えていた。「いつまでも、お前の幸せを祈っているよ」彼は、かつて自分の妹に告げ、叶わなかった願いをもう一度新たに口にした。
 親子は抱き合った。窓の外は依然暗く、書斎の周りで物音を立てるものはなかった。いつもは窓をうるさく叩く風すらも今はおとなしく、夜明けを待ってひっそりと静まりかえっていた。


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