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やわらかい光の中で
【大人 恋愛小説】

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やわらかい光の中で-93


千鶴は直樹との婚約を白紙に戻し、慎治を選んだ。

慎治という新しい恋人ができた事を直樹に伝えた時のことは今でも忘れない。
彼の怒りに満ちた悲しい眼差しは、今も尚、鮮明に脳裏に焼付いて離れない。
彼のその眼差しを目の当たりにした時、辺りが一気に真っ暗になり、2人を残してグルグル回っているような異様な感覚が彼女を襲った。
思考が停止し、現実を飲み込むことができなかった。
直樹の気持ちや自分の両親の思い、そして、自分の気持ちさえわからなくなった。慎治のことなど簡単に頭から飛んで消え失せ、自分が言った言葉の意味を無意味に懸命に考えていた気がする。

そして、彼女が口にした言葉は、それを放った瞬間、もう2度と消す事のできない忌まわしい過去となり、彼女を襲った。

それと同時に、彼女の罪は「理解」から「実感」へ変わった。


最後の直樹との沖縄旅行、2人は幸せのそのものだった。直樹にプロポーズされたばかりで、千鶴は彼の愛を信じていたし、自分の愛を信じてもいた。
新婚旅行は絶対に海外に行きたいとはしゃぐ彼女に、直樹は優しく頷いていた。次の沖縄旅行は高級リゾートホテルに泊まりたいとせがむ彼女に、笑いながら答えてくれた。

彼女は、そんな彼を裏切った。
自分のしている事の罪を理解しながら、慎治の強引なアピールを至極冷静に待ち続けた。そして、最終的には彼女自身が行動を起こし、慎治の胸に飛び込んだのだ。周りの事を考えず、ただ、自分のことだけを考えて、しかし、自分の事もどれほど考えていたのか、その時の彼女にはわからなかった。
彼女は直樹という婚約者がありながら、その罪を理解しつつ、その時を過ごしていた。
しかしその罪は、彼女に理解されていただけで、彼女は何も感じていなかったのだ。
だから、彼女は安易にその足を慎治のマンションに向ける事ができたのだ。
だから、追いかけてくる慎治の姿を容易に想像する事ができたのだ。

直樹からの言葉はなかった。彼は力なく頷きながら、時折、彼女を見るだけだった。彼の冷酷で、この上なく寂しい眼差しは、彼女に全てを実感させた。

なぜ、直樹とそんな結末を迎えなければならなかったのか、その答えは全て自分の中にあった。

彼女は、有名な会社で自信を持って仕事をしたかった。でも現実は無名の会社にやっとの思いで就職できたに過ぎない。しかも入社してみれば、仕事は甘くはなく、現実はそう簡単にはいかなかった。そして、それを打破するために努力することさえ、彼女は怠った。

彼女は、退社を決断した理由を直樹に求め、生活を直樹に委ねた。そして、失った自分の価値を直樹に託したのだ。

一流企業に勤める男の妻になる事で、己に価値を見出せない自分を満足させようとしていただけだ。

愛情を感じない直樹からのプロポーズを断っても彼との関係を続けていたのは、10年付き合った情や愛だけではなかった。
彼女の中の奥底に潜む、くだらなく、どす黒い厭らしい人間性の本質がそうさせていたのだ。
だから慎治と出会った時、彼に救ってもらいたいと思ったのだ。

直樹の険しい眼差しは、全てを見透かしているかのように鋭く光って見えた。

…醜い自分がもっと醜くなった。


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