投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

やわらかい光の中で
【大人 恋愛小説】

やわらかい光の中での最初へ やわらかい光の中で 82 やわらかい光の中で 84 やわらかい光の中での最後へ

やわらかい光の中で-83

 程なくして、出航を伝えるアナウンスと共に船の汽笛が港に鳴り響いた。
 心臓に響くその重低音が他の船に出航を伝えると、船はゆっくり船首を大海原に向けて旋回し始めた。

桟橋で船に向って大きく手を振る者がいた。船に乗っている子供達は意味もなく、大きく手を振り、それにつられて、大人も何人か小さく手を振った。大学生風のグループははしゃぎながら大きく手を振り、その奥で観光客風のカップルが港を背に写真を撮っていた。

 哲也は港の方を遠目に眺めていた。つられて千鶴も陸の方をぼぅっと眺めた。そして、船を見送る人が豆粒のように小さく見えなくなる頃、船はコンクリートで仕切られた港を抜け、青く美しい外海に出た。




港を出て暫くすると、見渡す限り青く美しい海に囲まれた。濃い青や水色、青緑など所々海の色が違うのは、珊瑚礁の所為だろう。場所によっては黒に近い青色の海もあった。
遥か彼方に美しく輝く水平線が見えた。緩やかにカーブしたその水平線は全てを優しく包んでいるように思えた。
地球は丸く、水平線の向こうにはまだ海が続いているという知識がなかったら、その先に自分はどんな世界を想像するだろうとかと、千鶴は思った。
地球が青く丸い事も、水平線の向こうが海である事も誰かから教えてもらった細切れの知識に過ぎない。実際に水平線の向こうに行ったことはないし、地球を地球以外のところから見た経験はない。それでも、ごく1部の人が体験した事を、人はみんなの共通認識として受け入れ、それはいつしか事実となるのだ。それが常識となり、教養や知識となる。そうして少しずつためた細切れの知識を身につけ、人は大人になっていくのだろうと、とりとめもない事を彼女は考えていた。

彼女は風に舞う髪の毛を押さえるのに必死になりながら、笑顔で何やら話している哲也の声に意識を集中させていた。船のエンジン音と風の音でその声はなかなか聞き取れなかったが、異常にテンションの高い哲也に笑顔を送り続けていると、まるで会話が成立しているかのように思えた。

チケット売りの女性の言う通り、海は少し荒れていた。
彼女は船酔いするタイプではなかったが、食べ過ぎた昼食とビールに旅の疲れも手伝って、少し気分が悪くなる気配を感じていた。
哲也は相変わらず元気そうだったが、顔色の優れない千鶴を気にかけているようだった。彼女は彼のテンションについていけそうもなかったので、船内で少し休む事にした。哲也は心配そうについて行くと言ったが、彼女はその申し出を断り、外で十分に船旅を楽しむように伝えた。

なんとなく独りになりたかったのだ。

そして彼女は、照りつける太陽と時々立ち上がる波飛沫(ナミシブキ)、頭に響くエンジン音と風の音から開放され、静かな船内へ吸い込まれるように姿を消した。





心配する哲也を甲板に残し、千鶴は冷たい船内の窓側の席に1人腰を下ろした。
船の中には大荷物を抱えた乗客が点々と席につき、それぞれ居眠りをしたり、本を読んだりして目的地までの時間を潰していた。
彼女は見るとなく船内を見回すと、ゆっくりと視線を窓の外に移し、そこから見える景色を眺めながら自然と目を閉じた。
船内は静まり返り、エンジン音と船を揺らす波の感覚だけが全身に響き渡った。
目を閉じ、何も考えないように努めた。そして、波の揺れを心地よく感じるまでエンジン音と波が織り成すリズムに意識的に体を合わせた。


やわらかい光の中での最初へ やわらかい光の中で 82 やわらかい光の中で 84 やわらかい光の中での最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前