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熊野の熱い夏
【フェチ/マニア 官能小説】

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「フロアマークを見つめて」-2

 ある日のこと、舞台が終わった後のジュンコ先輩の楽屋を訪ねたことがある。私はそこで妙なものを発見した。ボロボロになったドレスだ。
「ジュンコ先輩、何ですか? これ」
「ファンの男の子のプレゼント」
「プレゼントって、バカにしてるんですか?」
「違うのよ、ミキ。ぜひこれを着てあたしに踊ってほしいって言うの。虐待された少女の役で」
 私は思わず噴き出してしまった。
「その子、なかなか鋭くないっすか? ジュンコ先輩、そういうの似合いますよ」
「もう、ミキったら。その子、シナリオまで書いてくるのよ。それ見たらさあ、いくらなんでもヤバイって。SMショーじゃないんだから」
「ジュンコ先輩、そのシナリオ見せてくださいよ」
「やだよ! 見せられないって!」
 ジュンコ先輩は少し赤くなっている。その時、ふと可愛いなと思った。私は去年の夏合宿を思い出していた。合宿も中日を迎えた頃、疲労困憊気味の2人の先輩のことが気になって、ジュンコ先輩の元を訪ねたことがある。ジュンコ先輩は私の肩に手を置いて、逆に私を慰めてくれた。あの手の優しい感触が、まだ私の肩に残っている気がする。

 神戸の夏のコンクールが近づいてきた。このコンクールに、ジュンコ先輩は並々ならぬ覚悟で臨んでいた。ここでグランプリを取ってパリに渡りたい、絶対に負けられないと。私もジュンコ先輩のために何かしてあげたい。コンクールが近づくと、私はお弁当を作ってつくばから三鷹のN女の稽古場まで駆けつけた。私は部外者だが、特別に入れてもらった。
 カオリ先輩にアドバイスをもらいながらジュンコ先輩は全体の構成の微調整に入っていた。窓辺から差し込む夏の夕日に滴る汗が光る。心臓の鼓動が聞こえてきそうな張りつめた空気の中で、ジュンコ先輩は伸びやかに跳躍し、そこから地を這うような静の動きに転換する部分を繰り返していた。綺麗だな、ジュンコ先輩。私は床のフロアマークをぼーっと見ていた。
 その時、私の肩に手がかかった。驚いて振り向くとカオリ先輩だった。
「どうした? 進路のことか?」
 私が何か悩んでいるように見えたのだろうか。
「……」
 カオリ先輩の表情が曇っていく。何か喋らなきゃ。
「カオリ先輩、先輩たちは恋愛なんかしてる暇ないでしょ?」
 なんか変なこと言っちゃったな。
「ミキ、好きな人ができたね」
「いえ、そんなんじゃないんです」
 私は会話を荒っぽく打ち切って立ち上がると、ジュンコ先輩の方に向かった。

 ジュンコ先輩のことが、私の頭の中から離れなくなった。いつか写真で見せてもらったジュンコ先輩の生まれ故郷、上州の風や谷川の雪解け水や高山の深閑とした空気を思った。その中に、麦わら帽子とフレアのスカートが似合う少女がちょこんと立っている。そしてピンクのカーディガンを羽織り、紫のバッグを提げている今日のジュンコ先輩。ああ、どうしよう。
 私も人並みに男の子とは付き合ってきた。でもいつも告白される立場で、いま思うとなんとなくそれなりに楽しく時間を潰してきただけのように思う。告白する側の男の子の気持ちが初めてわかった。
 部屋の明かりを消す。つくばエクスプレスの終電車だろうか。レールの響きは西へと消え、やがて静寂と暗闇だけが訪れた。眠れない。切なくて何もする気になれない。音楽を聴く気にも。ともかくいまはジュンコ先輩の心を乱すようなことはできない。コンクールが終わるまでは。じゃあコンクールが終わったらどうするの? 10月にはジュンコ先輩はパリに行ってしまう。

 いよいよコンクールの日がきた。私もカオリ先輩も神戸に駆けつけた。ジュンコ先輩はシニアモダンダンスの部の最後を踊る。やはり本命なのである。演目は「麦畑の雨」だった。

 

 陽の光を思わせる虹色の光の束の中、白い衣装のジュンコ先輩が舞った。麦の妖精だ。器械体操で培った高い跳躍力としなやかな手足の動きに魅了される。アップテンポのダンスだ。その時、突然雷鳴が轟き、妖精は地面に倒れ伏す。照明が照度を大きく落とし、舞台にはおどろおどろしい音楽が鳴り響く。やがて妖精は、地面を這う幼虫のような動きを少しずつ見せ始める。緩やかな回転運動に細かく震えるような指先、大きく見開かれた眼。B塾で学んだ舞踏の動き、バリでのレゴンダンスの修業などが生きていた。他の演技者には見られなかった存在感だ。やがて陽は少しずつもとの明るさを取り戻し、幼虫は脱皮して麦の妖精に帰る。最後はバレエのようなややコミカルなステップを踏んで演技は終了した。


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