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「鬼と姫君」
【ファンタジー 恋愛小説】

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「鬼と姫君」2章A-3

しかし、何も知らされていない姫にとっては寝耳に水である。
世の中にままならぬことは幾度とあるものだが、まさかこの様なことが起こりえようとは。
姫がいくら嫌だと喚いて、折角整えられた衣を腹立ち紛れに脱ぎ捨ても、乳母は頑として聞き入れなかった。
それはそのまま安擦使の大納言の意向を表し、姫は父の強行な態度に拒むことは許されないと悟った。
どうにもならぬと思うと、憤りの感情を過ぎて、今度は涙が浮かんでくる。
自分の無力さを思い知らされた。

しばらく、一人にして欲しいと乳母に告げると、急に大人しくなった姫の様子に諦めを感じたのか、頷くとそっと出ていった。
外は騒動の間に明るさを収め、ゆっくりと淡い闇を伴ってきている。
望まない客人がおとなうのも後、数刻後であろう。

姫は頬を伝う雫を拭うと文机に向かった。

姫の心からの思い人―。

それは、限りなく儚い存在ではあったが、ただ一人のその相手へ向けて、最後かもしれない文を綴った。

あらざらむ 此の世のほかの 思ひ出に 今一度の逢ふこともがな
(私は生きていないでしょう。あの世への思い出として、もう一度あなたにお会いしたいものです)

姫が伝えたいことを十分に込めた。
衣が汚れるのも構わず庭におり、何時もの橘にくくりつける。
ほっと息をつくと、外はもう薄闇を纏っている。
足に触れる草が冷たい。
何故かまた、えもいえぬ感情が込み上げ、姫の頬を濡らした。
手を延ばして、橘を慈しむように撫でる。
せめて、この手紙だけ、この思いだけでも届けておくれと。
その姫の気持ちを汲んでか、そよと吹いた風に橘が優しく揺れた。


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