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『花』
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『花』-7

 不思議な話だ。寂しいという感情は、普通自分が求められていないと思った時に感じるもののはずだ。なのに弘樹は、自分が求めていないかもしれないということに寂しさを感じている。
 求めることと、求められることは、どちらが無くなっても寂しさを生じさせるのかもしれない。
 寂しさが体に満ちきって全身を拘束する前に、弘樹はテーブルの上に置いてある携帯電話を右手で取る。
 佳奈に会いたい。
 弘樹はそう思った。
 電話帳を開かなくても、着信履歴の一番上にあるのはいつも佳奈の電話番号だ。携帯電話を開いてから、佳奈に電話をかけるまでに殆ど時間はかからない。
 そのせいか、発信ボタンを押してから佳奈が電話に出るまでの時間がやけに長く感じられる。
『めずらしいね、弘樹から電話なんて』
「ねえ佳奈、今何処に居る?」
 佳奈が電話にでるなり、弘樹はすぐに言葉を走らせる。
『何?』
「会って話がしたいんだ」
『話って?』
「わかんないよ。でも、なんでもいいから佳奈と話したい。とにかく、会いたいんだ」
 携帯電話から空間を越えて沈黙が送り届けられる。それは微量だったが、いまの弘樹には受け入れがたいほどの量でもあった。弘樹の頭はもうパンクしそうだ。
『待ってて。今から行くから』
 それだけ言うと電話は切られた。先ほど送り届けられた沈黙が増殖し、あっという間に部屋の中を埋め尽くす。
「待ってる」
 沈黙の中で弘樹は呟いた。
「待ってるよ」
 佳奈に会いたい。弘樹は強くそう思う。何故かも分からない。
いや、よく考えれば理由は判明するかもしれない。でもそんな理由に一体どれくらいの意味があるだろう。とにかく会いたいのだ。会いたい。会いたい。その原始的で率直な思いだけがただ弘樹の中にある。その思いだけが、弘樹を内側から支えている。
 外側からの沈黙の圧力に潰されてしまわないように、弘樹を支えている。
……』


 携帯電話が鳴っているのに気付く。
 着信音で、誰の電話からかが分かる。
「もしもし」
『もしもし、お兄ちゃん?』
 下の妹、香澄からだ。
「どうした?」
『あのさ、今度の週末って暇かな?また、あれ、やろうと思うんだけど。定例会。』
 僕ら三兄妹は、何故かバラバラに暮らしていながらも仲が良く、時々誰かの家に集まる。定例会というのは、その集まりにいつの間にかつけられた名前だ。もっとも、その会が開かれる周期はまったく定期ではないのだが。
「先々週にやったばかりじゃないか」
『そうなんだけどね、お姉ちゃんがどうしてもやりたいって言っててさ。会場もお姉ちゃんちでいいって言うし。ね、どうだろ?』
「うん、まあ、いいんじゃないか」
 妹たちはその集まりをとても楽しんでいて、そして僕も、その集まりのことを大切にしている。
『やった。じゃあ、決まりね。また細かいことが決まったら連絡するね』
「ああ」
『あ、お兄ちゃん、ひょっとしてちょっと疲れてる?』
「どうして?」
『なんだか声が元気ないかな、って』
「なんでも……いや、うん、少し疲れてかもな」
『そっか、体調、気をつけてね。お兄ちゃんは人には気を使うくせに自分のこととなると本当に無頓着なんだからさ』
「ああ、気をつけるよ」
『うん。それじゃあね』
「ああ、おやすみ」
『おやすみ』
 電話越しの声で気付かれるほど、自分の気分は沈んでしまっているのか。と、言われて初めて気付く。
 香澄の小説は、主人公が恋人に電話を掛けるところで終わっていた。
 彼は正確に自分の気持ちに気付くことが出来たのだろうか。
 気付いていて欲しいと思う。そうでなければ、彼の手に花が咲いた意味など無い。
 世の中は意味の無いことに溢れている。解決されない問題ばかりが山積みになっている。しかし物語の中はそうではない。その全てに意味があるはずだし、意味があるべきだ。物語の中でくらい、人や物事は意味を持つべきなのだ。
 明日、彼女に電話を掛けてみようかと思う。
 おめでとう、と言い直すのかもしれない。それとも全く別のことを言うのかもしれない。
 それは明日の僕にしか分からない。明日の僕が思いついた言葉を伝えようと思う。一度くらいは、丁寧に理性で組み上げた言葉ではない、感情から直接に発せられる言葉を伝えてみなければいけない。
 自分の左手の甲を見てみる。
 花が咲いているような気がしたからだ。
 でも当然花なんて咲いていない。咲いているはずがないのだ。


〈了〉


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