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恋愛小説
【片思い 恋愛小説】

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恋愛小説-4

曲が変わる。さっきまでの機械的な演奏とは違い、美しい旋律だった。ジャズではない、クラシックだ。雨に打たれた森の翠のように、澄んだ川の蒼のように、透明感のある深い音色。小雨のように繊細なタッチが音を響かせ、フォルテシモとピアニシモの間を行き交う音符は生命の息吹に似ていた。
でも、どうしてだろう?僕はそれを寂しい曲だと思った。世界の果てにひとりぼっちで佇んでいるような、誰の手も取れないような、孤独の旋律。
この曲に似た何かを知っていた。張りつめることで安定を保ち、触れれば崩れてしまう脆い美しさを。
「黙りこくって、どうしたの?」
 頬杖をついたまま、あかりが訊ねてくる。口に運ぶのは、黒ビールとは対照的に真っ白なピニャコラーダだ。
 あかりなら、この不安をわかってくれる気がした。それが無理でも、出会った日のように道を切り開いていってくれるかもしれない。
僕は煙草に火をつけ、ゆっくりと吸った。
「最近さ」
「うん?」
「こんなこと言うと馬鹿だと思われるだろうから、適当に聞いてほしいんだけど」
「オーケー。聞き流してやるよ」
微笑み、グラスを揺らす。
「人生がわからなくなるんだ」
煙と共に吐き出した言葉。
 それを言った途端、あかりの笑みが消えた。
「人生、ね」
床に落ちたフライドポテトを眺めるような目だった。
人生。
それは口に出すと吐き出された煙以上に儚く、存在感の希薄なものだった。
「大学を出て、特にやりたいことも決めずに適当な就職をしてさ。毎朝電車に揺られて会社に向かう。それで、やりたくもない仕事をこなしながら人に頭を下げていく。昔は良かったなぁ、なんて愚痴をこぼすんだ。ぐしゃぐしゃになった金を握り締めて、薄汚い格好をして、あぁ、どこかでやり直せたらな、なんて後悔をして生きていく」
 就職活動に悩んでいるせいもあるかもしれない。社会にとって、僕は歯車としてうまく機能するだろうか。必要とされるだろうか。いくら考えてみても、明るい未来なんて想像できなかった。
僕だって真夏の暑い時期にまったく効きやしないクーラーを欲しいとは思わないんだ。企業だって、僕みたいな平凡な若者を雇おうとはしないだろう。
 あかりは手に取ったグラスを持ち上げ、しかし口には運ばずにゆっくりとテーブルに戻した。黙ったまま、目線だけで話の続きを促していた。
「これからの一生、消費と搾取の連続なんだ」
 ゼミの題材で格差社会を調べていくうちに、何もかもに嫌気が差してきた。僕が惰性的に過ごしているような三流大学を出ても、その先の未来なんてたかが知れている。光の射さない真っ暗な廊下を、とぼとぼと歩き続けるだけだ。
何が正しいかもわからずに歩き、年齢だけを重ねていく。まるで出口のない迷路みたいだ。そして左右に分かれていた道でさえ、いずれは一本になる。選択の余地も与えられなくなる。果ては、行き止まり。
 僕らはただただ消費していた。僕が黒ビールを飲む。あかりがエシャレットを摘む。キャンドルが溶ける。あかりがピニャコラーダを飲む。僕が煙草を吸う。ピアノ曲は同じフレーズを奏で始める。ダ・カーポ―――繰り返しだ。
人生なんて、こういった日々の繰り返しでしかない。明日は昨日と同じで、明後日は今日と同じ。変化なんて微々たるもので、それにだって気付けやしない。
けれど、毎日何かを失っているんだ。段々と削られていくように、大事なものを失い続ける。
いつだって、得るものに比べて失うもののほうがずっと多い。ビスケットを食べ終わってから考えてみればわかる。箱のほうが大きい。
「圭介、一ついい?」
 諭すようなあかりの声に、僕は黙って頷く。
「人生なんて逆算だよ。いつ来るかもわからない終わりなんて、考えてたって仕方がない。何に怯えて不安になってるのか知らないけど、あんたが生きたいように生きりゃいいじゃん」
吸いかけの煙草を灰皿に置き、ゆっくりと煙を吐く。
「生きたいように?やりたいことだけをやって?」
「そう。どんな生き方を選ぶかはあんたの自由なんだよ。勝手にすればいい」
「随分な言い方だな」
「だって、他に言いようがない。あたしの人生はあたしのもの。あんたの人生だってあんただけのものなんだよ。誰も介入しないの、そこには」
 確かに、あかりの言うとおりなのかもしれない。
僕らは個だ。いくら仲良くなってもどれだけ距離が近づいても、家族でさえ結局は他人でしかない。でも、個はつながりあえる。手をとって慈しみ、愛しあうことができる。
だから。―――だから決して、わかりあうことなどできやしない。


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