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《glory for the light》
【少年/少女 恋愛小説】

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《glory for the light》-39

―陽は、黄昏色に染められていた。僕は前川さんの話を聞いた後、独りで百合の元へ戻っていた。
百合は、相も変わらず、穏やかな眠りの中に身を置いている。
僕は百合の頬をそっと撫でた。
全てを知った今、僕は何かを失い、新しい何かを胸に得た。
不思議なくらい、事実を冷静に受け止めている自分がいた。
それでも僕が、百合を愛することに変わりはない。
(…辛かったろ)
僕は小さく呟いた。 横たわる百合の体は、小さく、とても子供を流産した体とは思えなかった。
重複子宮。それが前川さんの口から聞いた、彼女の体質の名だ。
元来、原始人たちは皆、重複子宮だったらしい。重複子宮というのは、体内で単角子宮が二つに分離している子宮奇形のことだ。人間が進化する間で、子宮は一つになり、ハート型の双角子宮となる。そこから進化したのが、現在の女性が持つ子宮らしい。
前川さんに言わせれば、重複子宮の場合、妊娠すること自体が奇跡だと言う。
百合は、そして彼は、二人の間に新たな生命が芽生えたことを、素直に喜んだ。ハンディキャップを乗り越え、授かった命を産む決心をしていた。
…彼は、どんな男だったのだろう。普通なら、高校生で恋人を妊娠させたら、堕ろして欲しいと懇願したり、責任から逃れようとする。僕は、そんな話を幾つも知っている。
しかし、彼は高校を辞め、働くことにした。勿論、そこまで漕ぎ付けるには多くの苦労があっただろう。両親、学校、社会、十代という身分。全てが重圧となって押し寄せる。それでも、彼の決意は固かった。百合と共に、新たな命と共に生きる道を選んだ。僕は純粋に、彼に敬意を抱く。紆余曲折を経て、彼は働きながら、百合は学校に通いながら、掛け替えのない命の誕生を待った。
ある日、彼の祖父母に逢いに、二人は隣り街へと出かけていた。
どんな様子の会合だったのかまでは、分からない。穏やかな雰囲気で喜びを分かち合ったかもしれないし、昔堅気の老夫婦から説教を浴びせられたのかもしれない。
祖父母の実家から帰る途中、予想外のことが起きた。
南半島に忽然と現れるものであり、言葉にすれば、意外なほどにありふれた感のあるもの。台風。
勿論、予報でその接近は確認していたが、人間が考える以上にそいつは気まぐれで、暴虐的だった。
荒らぶる風は全てを薙ぎ倒そうと、家屋といわず、樹木といわず、暴虐の限りを尽くそうと荒れ狂う。散弾のような雨粒が路面を叩き、視界はないほどだった。
近隣の街を、大規模な停電が襲う。それでなくても、暴風と沛然たる豪雨で電車は動かない。
祖父母の実家から帰る、ほんの一時間足らずの間に訪れた天災に、二人は途方に暮れた。そして不運にも、その過酷な環境下で、百合の陣痛が始まる…。
予定日よりも遥かに早かった。救急車を呼ぼうにも、台風のせいで出動は困難だろうし、各地で事故が起きていることは容易に予想ができた。彼は苦痛に耐える百合を励ましながら、祖父母の元へ引き返した。このまま家に帰るよりは速いだろうとの判断。沛然な雨に打たれ、風に揉まれながらたどり着く頃には、二人の体力は磨耗し、底をついていた。
しかし、陣痛が止むことはない。
産まれることを確信した彼は、祖父母の手を借り、家の中で普通分娩を行おうとする。祖母は自宅出産で父を産んでおり、その知識はある。
車など安易に出せる状況でもなかったが、それでも、天に望みを託し、救急車を呼び、到着を待つという選択肢もあったはず。
しかし、彼はそうしなかった。運に頼るつもりはなかったらしい。百合は、彼の言葉を、意志を信じた。彼の説得により、祖父母も了承した。
重複子宮の母体は、中隔が出産の邪魔になるため、流産の危険性が極めて高い。故に、帝王切開での出産予定であった。しかも、生半可な知識だけで、碌な設備すらない場所で、体力の磨耗した母体での出産だ。
冷静になれば、それが如何に無謀な行為か分かるはずだった。
それでも、百合は彼を信じた。
…信じた末路として、百合の体が産んだ命は、命であって、命ではなかった。
どれだけ耳を澄ませても、聞こえない産声。聞こえない息吹。聞こえない鼓動。
台風も落ち着き、救急車が到着した頃、祖父母は泣き崩れていた。百合は、自分の子供の死も知らず、静かに眠っていた。
彼は、小さな、小さな亡骸を抱えたまま、茫洋としていた。


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