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《glory for the light》
【少年/少女 恋愛小説】

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《glory for the light》-35

―閑静な街の、閑静な喫茶店。
店のマスターは、三十代半場ほどの女性だった。喫茶店と言っても、夜にはバーも兼ねているようで、カウンターの奥の棚には酒瓶が並んでいる。二人が店内に入ると、百合を見た彼女は一瞬、記憶をたどるように眉根を寄せた。やがて思い当たると、顔を綻ばせ、嬉々として百合に語りかける。久しぶりね。いつ帰ってきたの。大学は今お休みなの。お隣りの人は誰。あなた、ちょっと痩せたんじゃない。向こうではちゃんと食べてるの?
久闊を叙する質問責めに、百合は曖昧な笑みと首肯で答えた。
おばさんは、愛想の悪い百合に落胆するように顔を曇らせる。その目には、若干の憂慮があった。世帯内の干渉が希薄な土地柄には見えなかったから、百合の様子に、不快感よりも危惧するものがあるのだろう。
僕たちは窓辺の席に腰を下ろすと、互いにコーヒーとサンドイッチを注文した。
僕は重く口を閉ざした百合を前に、この街のことを考えていた。
予想していたより、小さな街だ。主な産業は漁業と観光業で、街の大きさから推測すると、人工は二万人にも満たないかも。ホテルの代わりにペンションなどが多く見られたので、夏にはさぞかし、殷賑な空気で満ちていることだろう。
ソフィスティケートされた街に慣れた者には、この街はオアシスのように感じるかもしれない。街並も穏やかで、自然も美しく、落ち着いて暮すには最適な街に思えた。
…僕は、この街に来て何をしようとしているのだろう。今更のように、そんな疑問が頭をよぎる。僕と一緒に此処に来れば、百合の中で、何かが変わってくれるかも。そう淡い期待を抱いていたが、僕の自惚れだったと気付く。
僕は結局、百合を無意味に苦しめているだけなのでは…。
畢竟精神に束縛されていた訳ではない。自分の無力さがもどかしいだけだ。
注文の品が運ばれてきた。他に客はいなく、思いの他早かった。
(食べよう。昨日の夜から何も口にしてないだろ)
食欲がないのか、百合の食は余り進まず、コーヒーばかりをすすっていた。
寝不足のせいか、僕も余り食欲はなかった。空腹は感じているのに、食物がすんなりと喉を通ってくれない。ちらちらと視線を送るおばさんを気にしながら、僕は胃袋にサンドイッチを詰め込んだ。
(どうする。一度、実家に帰りたいなら、僕は夜まで適当に時間を潰すよ。両親に顔出しといた方がいいだろ?)
僕はおばさんに聞かれないよう、声を潜めて言った。それに倣う訳でもないが、百合が小さく答える。
(帰らなくて、いい。帰りたくないの)
(…でも、一応)
(帰らない)
帰らない。そう言い張る百合の声に、固い決意を感じ、僕は領ずいた。何故、帰りたくないのだろう。
(分かった。じゃあ…)
これからどうする。そう言いかけて、僕は止めた。自分で連れ出しておいて、それはないだろう。
(少し、歩こうよ。行く当てなんて、なくていいから、いつもみたいに)
僕が考えている内に、百合が言った。
(疲れてるだろ?)
(…大丈夫)
明らかに顔色は悪く、僕はもう少し休んだ方が良いと提案したが、百合は頑なに、大丈夫と答えた。
僕は彼女の意思を尊重することにした(余り体調が悪いようであれば、引っ張ってでも休ませるつもりだったけど)。
結局、百合はサンドイッチを5分の1も残した。
僕が百合の分も会計を済ませる。おばさんはレジからお釣りを出す間にも、百合に心配そうな視線を投げ掛けていた。


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