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《SOSは僕宛てに》
【少年/少女 恋愛小説】

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《SOSは僕宛てに》-17

 結局、僕は三十分も待たされた。翔子は全て読みきるのではないか、と思う程ゲーテに没頭し、辟易した僕はそれをおごってやった(元からそのつもりだったのだが)。僕が買ってやると言う言葉に調子に乗った彼女は、僕が勧めた『ゲーテ格言集』まで買わせた。そこら辺の言葉を覚えているのは、抜け目がない。ゲーテもあの世でさぞかし御満悦だろう。同じく御満悦の翔子を隣に本屋を出た時、僕の分の小説を買うのを忘れていたのに気付く。まぁ、良いだろう。彼女の御機嫌を買ったと思えば、安い買い物だ。寮を出る際に言われた、怜治の言葉を想い出す。『いいか?亮。紳士の条件その一。女には一円も使わせるな。その二。女より高価な物を買うな』 僕が翔子とデートに漕ぎ着けたと、怜治に告げた時、彼は我が事のように人懐っこい笑顔を浮かべた。その後、プレイボーイの顔付きに成り、僕にそう言った。
『紳士の条件』の他にも、『繊細な野獣の条件』とか言う、少しあれな持論を講義されそうになった。待ち合わせの時間に遅れると言う名文でその場は切り抜けたが、その時の彼の表情は、できの悪い弟を見る兄ようで、想いだすと失笑してしまう。
「何がおかしいんですか?」
思わず本当に笑ってしまったのだろう。傍らを歩く翔子が不思議そうに、僕の顔を覗き込む。
「別に。何でもない」
思い出し笑い。と言うのは少々不気味な響きが在るので、僕はごまかした。翔子も特に言及しようとはせず、
「…変なの」
と一言だけ言って歩を進めた。
 デパートとスポーツ用品店に挟まれた立地に、その二十四時間上演のミニシアターは在った。映画館と呼べる程、立派な建築物ではない。善良なアート系の映画ばかりを上映する、流行とは縁の遠いミニシアターだ。深夜は専ら、酔っぱらいや家出少女の寝床で在ったり、卑猥な行為をするカップルの巣窟なのだが、日曜の午前は至って良質な場所で在る。
 店内に入り、カウンターでチケットを二枚買った。映画館に付き物のポップコーンなど、洒落た物は売っていなかった。シアタールームに入る。本屋で予想外に時間を使ったせいで、上映開始には間に合わなかった。始まって十分程度だし、許容範囲だろう。
「席ガラガラですね」
翔子が言った。
「その方が落ち着く」
僕はそう言って、彼女の手を引き、最前列から三番目の真ん中の席に向かった。
「映画館って久しぶり」
翔子は興奮気味に言った。
「僕もそうさ。それより、集中して見なよ。難解な内容だから、気を抜くと置いてかれる」
「そうね」
ステレオから反響する哀愁的なクラシックに乗り、スクリーンでは青い瞳を宿した二人が、秘め事を囁き合って居た。
『WhyIfeelempty.No.Nobodyunderstansmyfeelingsmean.(こんなにも虚しいのは、何故?…いえ…この想いの意味など、誰にも分かりはしないわ)』
亜麻色の髪の女が、切なげに、青い瞳を潤ませて述べた。
『No.Iknowhowyoufeel.But,SoIcansay.Itsnotyourfault.Dontblameyourself.(…いや、君の気持ちは分かるよ。でも、だからこそ言える。君のせいなんかじゃないさ…。自分を、責めないでくれ…)』
女を後ろから優しく抱き締め、美青年が囁く。
『Youarekind.Butyouareliar.(…優しいのね…でも、あなたは嘘付きよ…)』
女は、悲しみをごまかすように薄く笑い、繊細そうな指で男の頬に触れながら呟いた。男は、何も言えずに押し黙る。
『Itsmyfault.(悪いのは、私よ…)』
悟ったような口振りの女は、何処か痛々しかった。
『Ithinkitssourgrapes.(…それは、負け惜しみさ)』
何故自分の気持ちを分かってくれないのか。そんな苛立ちと悔恨が、男の声を震わせる。
『Whatareyouunderstand?(あなたに何が分かるって言うの?)』
『…Nothing』
溢れ出す悲しみに絶えきれず、男は女の紅い唇を自らのそれで塞いだ。暫し、悩ましげな吐息が漏れ、ゆったりと流れるメロディに溶け込んだ。
『Youaretricky(ずるいのね)』
絡み合う口唇から、女の囁きが流れた。その頬を、一条の涙が流れ落ちた…。
 予想に反して、その映画の上映は三時間にも及んだ。通俗な表現をすれば、人間の不条理と禁断の愛がテーマの、若干インモラルな作品だった。しかし、対人関係の演出は魅力的で在り、退廃的な音響も物語に良く合っていた。全体として見れば大衆的ではないが、文学でリメイクすれば一皮剥けそうな、稀有な映画だった。


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