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和州道中記
【その他 官能小説】

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和州記 -或ル夏ノ騒動--9

「ッ!」
背中から地面に倒れ込んだ彼の首筋に木刀がぴたりと当る。
単なる木刀がやけに冷たく感じられた。
「勝負、あったかな」
男は静かに笑みを浮かべながら言う。
「う…く…」
一紺が悔しげに唇を噛んだ。再びしんと辺りが静まり返る。
男は一息ついて辺りを見回した後、何か思案するように暫し空を見据え――それから一紺へと視線を移して彼の腫れた面をまじまじと見つめた。
「?」
(何や、こいつ…)
男の行動に、一紺が怪訝そうに眉を寄せる。
すると男は笑みを深くしながら一紺の元に屈み込むと、肘鉄を思いっきり彼の鳩尾に食らわせた。
「ぐッ!」
くぐもった呻きを漏らし、気を失う一紺。
ざわ、と野次馬達がどよめいた。
「悪いな」
苦笑混じりの大男の言葉は、一紺には既に聞こえていなかった。
男は気を失った一紺を軽く担ぎ上げる。
そうして男は、誰もが唖然と口を開けて彼等を見つめる中、剣闘場を後にした。


そして一紺が気付いたのは、既に陽が落ちかけた頃だった。
「――竜胆ッ!?」
はっと目を覚まし、開口一番一紺はそう声を上げる。
目を瞬かせ上体を起こした一紺は、体中の痛みに思わず唸った。
「…?」
だがそのいずれの傷にもきちんと手当てが施されていて、彼は首を傾げた。
場所も先程の剣闘が行われていた空き地ではなく、どこかの宿屋らしい。
「おう、目え覚めたか」
「!」
声の方を向くと、そこにはあの剣闘で勝ちを収めた大男の姿があった。
身構える一紺を見て、彼は低い笑いを漏らす。
「くくく、まだ分からねえのか」
思ってもみなかった男の言葉に、一紺は鼻白む。
男は一紺の傍らに腰を下ろすと、未だ警戒の色を露わにした一紺の瞳を、真っ直ぐに見て言った。
「ええ?寂しいじゃねえか、一紺」
「――鳩羽(はとば)の兄貴ッ!?」
男の褐色の瞳を見て、ようやくこの男が何者か分かったらしい一紺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
その拍子に痛んだ頬に顔を歪めた一紺を見て、男――鳩羽は豪快に笑う。
「いやあ、気付かねえのも無理はねえか。もう五年、いや七年は経ったからなあ」
懐かしそうに鳩羽は言って、懐から取り出した煙管に火を点ける。
ゆっくりと煙を吐きながら、鳩羽は再び一紺の瞳を見つめるが、すぐに視線を逸らした。
「なあ…」
「あいつに…蘇芳に会って来たぜ」
一紺が口を開いて何か言おうとしたが、しかしそれは鳩羽の言葉に遮られた。
「あいつのボロい墓、花が供えてあった」
そう言った鳩羽の面には、哀しげな笑みが浮かんでいた。
その表情に、一紺は思わず胸を詰まらせる。
「あいつ、患いで死んだってな。力になれなくてすまなかったと思ってる。俺があの村に残ってりゃあ、あいつも死なずに済んだかと思うと、どうも胸糞悪いんだ」
「あんたのせいやない」
俯いて、一紺は首を横に振った。
「都から医者呼んで来たけど…もうその時な、どうにも出来へんかったて。倒れる直前まで、あんな元気だったんにな…」
「俺みたいなやぶ医者にゃ、どうしようも出来なかったかもしれねえが…せめて最後くらい看取ってやりたかった」
鳩羽が紫煙をくゆらせ、自嘲気味に呟いた。
暫しの間、二人の間に沈黙が流れる。
鳩羽の煙草からだろうか、微かに香る薄荷が一紺の鼻腔を突いた。


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