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『カイコノトキ』
【純愛 恋愛小説】

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『カイコノトキ』-2

高校生の僕たちは、幼すぎたのだ。ままごとじみた愛情に溺れ、身を寄せ合った僕と彼女はお互いを見失った。近すぎる距離。溶け合う気持ちを御する術を、僕たちは知らなかった。
僕はジョッキに入った黄金色の液体を勢いよくあおった。きゅっ、とした苦みが喉の奥から返ってくる。
おめでとう。
よかったな。
あれ、幸せ?幸せなんですか?
様々な祝福の声が飛び交ったが、最後の声にほぼ全員が反応した。反応を伺うように静まり返り、体を縮めた湯川へ視線を注ぐ。
「はい、幸せです」
湯川が答える。

『何だろう、今、幸せなすごく気分だな』
そういう彼女に、多分、お前だけじゃないよ、と僕が言う。世界で一番近い距離で彼女の体温を感じながら。

ひゅ〜。いいねぇ。
長野が口笛を吹いた。それが合図のように、全員から拍手が起こる。柊も微笑を浮かべながら控え目に両手を叩いていた。
同窓会はそのまま、湯川の結婚祝いの席へと変わり、無理矢理上座に座らされた湯川へ、全員が一回ずつは酒を注ぎに行った。結果へべれけになった人妻を長野が家まで送っていくことになったのは仕方がないといえば仕方がないと言える。

居酒屋の前で見上げた濃紺の夜空には、そのまま教科書に載せてしまいたいくらいに見事な満月がぼんやりと輝いていた。
「ねぇ、ちょっとだけ一緒に歩かない?」
湯川の三分の一も飲んでいない柊は、空を仰ぐ僕のシャツの裾を引っ張った。思わず少し動揺した僕は、一瞬の逡巡の後でその申し出を受けた。この居酒屋から彼女の実家までは徒歩二十分強。それまでに人気のない路地も歩かなくてはならない。いくらなんでも、その道程を二十二歳の女性を一人で歩かせるわけにはいかない、というのが主立った理由。それに、あれだけ浮いていた中で二次会でカラオケ、という気分にはなれなかった。
「この辺りも、ちょっと変わったね」
市街地(と言うのは大袈裟だが)を抜け、川沿いの小道を歩きながら、彼女は視線を遠くに移した。その先には鉄筋集合住宅。昨年完成したその建物は、無骨な鈍色の巨人を思わせた。
「あそこ、前はたんぼだったよな」
胸ポケットから取り出した煙草に火を点けながら、僕は記憶を辿りながら言った。
「煙草?」
つい、と前に出た柊が意外そうに僕の顔を覗き込んだ。
「煙草じゃねぇ、たんぼだよ」
「聞こえてるよ。煙草吸うの、って聞いたの」
ああ、と間の抜けた声を上げた僕は、
「もうハタチ過ぎたんだから問題ないだろ」
と思わず雑に言い放つと、顔を彼女から背け、一口目を吐き出す。もう僕は十六、七のガキじゃあない。
でも、僕は覚えていた。

『さっきね、北村君と古畑君が煙草吸ってるの見たんだ』
ある夏の帰り道、十七歳の彼女が言った。制服のブラウスは半袖の夏服ではなく、布地が手首まで延びた合服。そこから首を出すようにはい出た白い指先が、僕は好きだった。
で?
どうでもよさそうに十六歳の僕が相槌を打つ。実際、どうでも良かったのだ。ただ僕は、どうやって手を繋ごうかを思案を巡らせるので精一杯だった。
『私、煙草って苦手だな』
どうして、と聞く前に、彼女が言葉を繋ぐ。
『お父さんも、吸ってたんだ』

コンドラチェフやクズネッツら、四人の偉大な経済学者は、社会の景気変動には周期があると明らかにした。
ならば幸福の周期、というものが存在するのなら、一体僕は、そして彼女は今、一体どの位置にいるのだろうか。上昇中?それとも下降中?正負どちらかの頂点にいることはないだろう。少なくとも僕は。


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