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言葉と記憶と斑猫と…
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言葉と記憶と斑猫と…-2

「あぁ〜そうそう。私が何故ここへ来るのか…でしたよね」
「あ?あぁ、…なんでだよ」
 見惚れるあまり、半開きになってしまっていた口を慌てて閉じる俺を、流し目で見ながらニヤリと笑ったハンビョウが、イライラ口調で『何でだよ』ともう一度問い質す俺の問いに答える。
「私の主人は、もういっぱいいっぱいでしてね。わたくし…見るに見かねやって参りました」
 真っ直ぐに俺の視線を捕らえたその瞳がギラリと妖しく光る。
 パサリと乾いた音を立てて、ハンビョウの手の中で開いた扇子が、たおやかにヒラ
リヒラリと動線を描いて舞う。
 その度に、微かな白檀の香が、酒で火照った俺の頬を心地よくなぞる。
 ハンビョウの主人??それは一体……
 俺は、緊張で乾いた唇を舐めて、ハンビョウにゆっくりと問いかける。
「おまえ…一体誰だよ」
 今まで何故それを聞かなかったのか…分からないけれど、その言葉を口した俺は、今までになく緊張していた。
 ハンビョウの眼が一層光りをまして、俺が、ゴクリと唾を飲んだその時、一瞬月明かりが遮られ、眼の前が真っ暗になった。
 なんだ?と思うと同時に、無意識に夜空に目をやると、大きな鳥の影が俺と月の間を横切った。
「音もなく飛ぶんですよ、フクロウってやつは」
 次の瞬間、俺は驚きのあまり、『うわっ!』と叫んで、柱にへばり付く。
 そんな俺の視界に、唇がくっ付いてしまうかと思ったくらい至近距離に座っているハンビョウが飛び込んだ。
「そんなに驚かなくても大丈夫ですよ。アイツら、私はともかく、あなたを喰らうことはないでしょうから」
「ち、違うよ!おまえに驚いたんだよ。あんたの、無音、音速移動は心臓に悪い」
 胸を押さえて溜息をつきながら、これ以上ないほどのイライラ感を露にして、ハンビョウを睨む。
 しかし、当のハンビョウは落ち着きはらったまま、意味深に微笑みかけてきたかと思うと、手早く俺の顔に引っかかっている眼鏡を摘み上げると、自分の頭に掛けた。
「返せよ…ソレがないと何も見えない」
 そう俺が呟くのが早かったか。
 それとも、『見えなくていいんですよ』と囁き、フワリと宙を舞ったハンビョウの身体が俺を押し倒し、驚き見開いた、俺の目の上に手のひらをかざすのが早かったか…
 視界を塞がれ、真っ暗闇の中、ハンビョウの気配に耳を傾ける。
 思ったより暖かいその指先が、俺の前髪を撫で上げた。
 あっ…白檀の匂い…。
 そうっと耳に近づいた顔の気配を感じていると、なんとなく懐かしい気持に苛まれる。
 どこかで経験したような気がするこの温もりと感触…
 俗に言う『デジャビュ』……
 耳元で感じるハンビョウの息遣いは妙に気持ちよく、酔いが回っただけではないと確信できる、まるで脳内神経まで麻痺させてしまうような、心地よい眠りに誘われ、俺はいよいよ魂を抜かれてしまうのかと覚悟しながら目を閉じた。
 しかし、その唇は、冷たくなった耳たぶを優しく噛んで、その後こう囁いた。

「本当に大切なものがそこにあることを…忘れてしまう前に、早く気付いて……」

 そう聞こえた次の瞬間、フワリと身体が軽くなり、俺はゆっくりと目を開ける。
 ぼやけた視界には、既にハンビョウの気配はなく、白檀のエキゾチックな残り香だけが、微かに風に息吹いていた。
 再び重く閉じるようとする瞼の奥に、ひとつの情景が甦り、はっきりと浮かび上がってくる。

 いつ頃の記憶だろうか…
 夕方の教室に置き去りにされたことに気付くことなく、安らかな寝息を立てている
俺の傍らに佇む細長い影……
 暖房の切れた、凍てつく教室で冷たくなっていく俺の頬に、彼女の暖かい指が滑り落ち、すっと前髪を撫で上げて、その寝姿を覗き込む。
 『誰?』俺は、そう夢の中で問いかけた…
 目を開けようとすると、その視界は細い指に遮られ、そっと耳元に近づいた薄紅色の唇は、消えそうな声で囁いた。

「早く気付いてよ…」

 そんなおぼろげな記憶を辿りながら、どこか遠くに連れ去れる意識の中で、俺は一言呟いた
「ハンビョウの野郎…俺の眼鏡持って行きやがった……」


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