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花に嵐
【悲恋 恋愛小説】

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花に嵐-1

 どこからか香る沈丁花。漂う強い香りに目眩がしそう。

 ザワザワと木々の揺れる音がする。春の風は強い。まるで嵐のよう。無情に花を散らして吹き荒れる。




 ゆっくりと闇が光を覆いつくしていく。4月といえどもまだ日の入りは早い。
 どこか穏やかな春の空気を感じながら乙女は心を弾ませ、一つに結った黒髪を揺らし、薄暗い廊下を行った。
 先の方に見える教室から、ぼんやりと漏れる光に気持ちが逸る。

 ドアの1m程手前で歩を止めた。開いたままの扉の向こうにいるであろう人を思い、頬が緩む。
 胸に片手をあて、ふぅと小さく息を吐いて高鳴る心を落ち着かせた。
「せんせ」
咲弥(サキヤ)の声は、入り口から油絵の具の臭いが漂う美術室の中へと溶け込んでいった。
 『せんせ』と呼ばれたかの人は、筆を止め、ゆっくりと振り向いた。
「あぁ、桜川(オウカワ)さん」
 ふわっ―――ゆらゆらと真っ白なカーテンを揺らしながら、温かな春風が吹き込んだ。
 この人に名前を呼ばれるだけで、どうして私の心はこんなにぽかぽか暖かくなるのでしょう。
 咲弥はにっこりと笑い、ちょこちょこっと『せんせ』の隣まで寄った。
「おととい描いてみえた絵は、もう完成したのですね。今度は何を描いてみえるんです?」
淡いピンクと暗い藍色に彩られたキャンバスを見つめ尋ねた。
「桜だよ」
「さくら……ですか」
せんせの差した指の先には、窓外の闇に淡く浮かび上がる満開の花。
 なるほど、窓辺で描いてみえるのはそういう理由なんだわ。

 それにしても――――

 描かれている桜は、咲弥の思う、否、世間の思い描く桜とは似ても似つかないほど、ひどく哀愁漂うものだった。

「せんせ」――何故こんなに悲しげな桜なのですか?

 最後の言の葉は、口に出す前に宙へ消えた。
「伊勢谷さん……」
なぜなら、『せんせ』の目は、既に咲弥のを横を通り越し、ドアのところへと向いていた。
 あぁ、せんせを独り占め出来る時間が終わってしまった。
 咲弥は瞳を閉じ、こっそり肩を落とし、後ろを振り向いた。
「伊勢谷先輩今日はどうされたのですか?部活お休みなのに」
咲弥が彼女にそう尋ねると、「先生に用事なの」と、伊勢谷先輩と呼ばれた女生徒は、キリリとした意志の強そうな大きな瞳でチラッと一瞬だけ咲弥を捉えて、そう述べた。

 「どんな用事だい?」
穏やかな声が空気を痺れさす。
「ここじゃちょっと……」
言葉を濁し、再びチラリと視線をこちらに投げかけた伊勢谷先輩に、チリッと胸が痛み、咲弥は俯いて眉を歪めた。
「じゃあ、準備室でいいかい?」
「はい」
咲弥の痛切な表情には気付かないで、そのまま二人は隣の部屋へと移動していってしまった。
 いや、『せんせ』は咲弥に何か言葉をかけていっただろう。ただ、彼女がそれに気付かなかっただけで。


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