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Besinnung(春→夏)
【悲恋 恋愛小説】

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Besinnung(春→夏)-1

“胸が苦しい”ってこういう事だったんだ。
電話を切ってから私は妙に感心していた。午前3時44分。もう寝なきゃいけないのに,枕が冷たくて寝られない。水滴はあとからあとから枕に染みをつくっていく。ついでに言えば,少しばかりの鼻水と,しゃっくりなんかも出てきてる。
これほど泣いたのはもしかすると小学校の頃親父に九九を暗唱させられたとき以来かも知れない。
彼との通話時間は1時間15分。初めは楽しい話だったはずなのに,あたしは例の如く天の邪鬼になって,何だかよくわからない流れの中でこういった。
「もう電話もしない」
何で言ったんだろうと思っても,一度言ったことは撤回できない。彼は静かに一言「わかった」といって。それから黙ってるあたしにこうも言った。
「彼氏と仲良くね,あと早く寝るんだよ。元気でね」
優しいよ。何でそんな事言えるの。・・・どうして「嫌だ」って言ってくれないの。
言い淀んでるうちに電話は切れていた。

3ヶ月前,ドイツ留学から帰ってきたあたしは空港で彼と会った。たまたまあたしの帰国日に彼が東京に来るらしく、折角だから会ってみるかという、軽いノリ。
向こうのホテルの記帳にあった,彼のコメントに何故か惹かれた。何の変哲もない文章だったけれど、何故かあたしはすぐに載っていたアドレスに思わずメールした。
それは2年も前の記帳だったけれど,彼のアドレスは変わってなかった。すぐに返事が来て,それから一度だけ電話もした。国際電話は高いから,あとは日本に帰ってからねって笑い合って。
彼はあたしより9歳上で、普通のサラリーマン。空港で初めて会ったときも仕事帰りに立ち寄ってくれたから,ちょっとくたっとなってしまった背広を着ていた。時差ぼけと長旅の疲労をため込んでたあたしは,寝癖のついたすっぴんの顔と、よれた服で彼とご対面した。今思い出しても初顔合わせにしては気が抜けてい たと思う。
空港内の喫茶店で、少しだけお茶をして。
そこでお互い軽く自己紹介した。
彼に、3つ下の恋人がいるってことも知った。

彼とは毎日メールをした。時々電話で声も聞いた。家が遠かったから,あまり会うことはなかったけれど,それでも充分楽しかった。
あたしにだって,付き合ってもう2年になる彼氏がいる。彼にメールをしたときは,友達がまた増えるかなという軽いノリだった。彼だって,そうだったと思う。
だけど,いつからだろう。彼のメールがないと沈んでは,彼の声が聞けた日はひどくはしゃぐ自分が居た。ある日彼は電話で,唐突に,あたしに言った。
「好きだよ」
少し離れたお兄ちゃんみたいだったはずだ。ただの友達だったはず。
なのに。
あたしは恐くて言えなかった。私も好き。
・・・今の彼氏との関係が,崩れるなんて考えられない。だけど,彼との関係が崩れるのもそれと同じくらい考えられなかった。あたしはずるい。
彼ともっと一緒にいたいと思う。もっと沢山話をして,抱きあって,髪を撫でてもらって・・・
「ね,あたしのことスキ?」
何回も聞かなきゃ不安になる。だって遠いから,体も心もずっと遠くにいるから。
彼はそのよく透る綺麗な声で,あたしが聞く度言ってくれた。
「大好きだよ」
ずるいね,あたしは一度も言わなかった。好きって言葉を発した瞬間,もう元には戻れないから。恐かった。

8月15日,お盆の最中。空は一面の青で,所々に真っ白な入道雲が出ていた。
私は彼と2度目の再会をした。
田舎のショッピングセンター。我ながらなんでこんな所を選んだのかと笑ってしまう。地元の人が軽自動車を軽快に走らせながらやってくる。
駐車場はうだるような暑さがたちこめて,数メートル先がぼやけていた。そのもやもやした辺りから,夏の太陽光を集めまくっている黒シャツがやってきた。暑そう・・・。私はその格好でまた笑いそうになった。それは幸せな感情で,恋人に対する愛おしみによく似ていた。否,同じだったんだろう。


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