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ビターチョコレート
【家族 その他小説】

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ビターチョコレート-4

「ここからが思い出話。お母さんたちね、何もしなかったの。式も挙げない、結婚指輪もない、新婚旅行も計画しない。まあ、それでも良かったんだけど。ただ、あの頃は若かったから、少し淋しかった。友達はみんな結婚指輪をはめて、幸せそうな笑顔で写真に写っているんだもの」
 母がお茶を一口飲んだ。それは、確かに少し淋しいかもしれない。愛は形じゃないけれど、結婚という思い出は、やはり大切になっていくものだろうから。
「そんな風にね、形では何もしてくれなかったお父さんが、初めてお母さんにプレゼントしてくれたものがあるのよ。結婚の話が進んで最後のデートの時にね、お父さんがチョコレートを一箱、くれたの」
 私と玲人は目で合図しあった。私たちの名前って、そこが原点なんだろうかって。
 思わず吹き出しそうになりながら、お茶を飲んだ。
「お母さん、もう嬉しくて嬉しくてたまらなくて。チョコレートって意外と日持ちするから、実は結婚式が終わって一緒に暮らし始めてからも、しばらく食べずにとっておいたの」
「へえ、どのくらい?でもさ、賞味期限間近のチョコレートって、風味が劣ったりするんじゃない?」
「それがね、お母さんは食べてないの」
 母は、目を細めて笑った。昔を思い出しているのだろう。懐かしそうなその顔は、父と過ごした若き日々を映し出していて、母がまるで、恋をしている少女のようにさえ見えた。少し、くすぐったい感じがした。
「何で?大事にしすぎてそのまま食べられなくなったとか」
 ちょっとからかうように言ってみる。母はぱちりとウィンクをした。
「お父さんがね、見つけて食べちゃったの」
「何だよ、それ。間抜けだなぁ」
 玲人が吹き出した。私もつられて笑った。
「まだ、続きがあるのよ。お父さんが食べちゃったのって、今となっては平気なんだけど、その時は、とっても嬉しかった反動で思わず泣いてしまった。ふふ、馬鹿みたいだけど、本当にわんわん泣いて。お父さんを困らせたわ」
「父さん、どうしたの?」
「お父さん、何回もごめんって謝ってた。それから、すぐにチョコレートを買ってくるって、家を飛び出したの。でも、もう夜の9時くらいで、当時は今みたいにコンビニも近くにはなかったから、買えなくて。お父さん、どうしたと思う?」
 私と玲人は互いの顔を見て、考え込んだ。今なら迷わずコンビニに買いに行くだろう。でも、当時のようにコンビニがなかったら、私たちはどうする?
「駄目だ、思いつかない。諦めて帰ってきた?」
「ううん、チョコレートを持って帰ってきたわ」
「えぇ〜?どうやって?私たちには、全然解らないわ」
 私たちが降参すると、母が嬉しそうに笑った。
「お父さん、パチンコ屋に駆け込んで千円分の玉を買って、パチンコをせずにそのままカウンターで、交換できるだけチョコレートを下さい、って言ってチョコレートを用意したの」
 実に父らしい答えだった。パチンコ屋の人は、ただチョコレートを買いに来た父を見て、笑ったのだろうか。きっと、優しい気持ちになったんだと思う。いきつけのあのパチンコ屋のオーナーのおじさんも、そういう優しい人だった。
「何かさ、こそばゆいんだけど。照れるっていうか。俺、恥ずかしいよ」
 玲人がむずがゆそうな顔をしているのが、おかしかった。自分の親の甘酸っぱい思い出を、あってもおかしくないのに、聞く時ってやっぱり照れてしまう。玲人は男だから尚更なのだろう。
「ふふふ。男の子だねぇ。そこのパチンコ屋は、甘いものが苦手な人にも食べられるように、ビターチョコレートしか用意してないお店でね。お母さん、そのほろ苦いチョコレートを泣きながら、食べた。もう、嬉しくて涙が止まらなかった。苦くて、しょっぱくて、でもとびきり甘いあのチョコレートの味、きっと忘れないわ。お父さんが、チョコレートの紙袋を抱えて帰ってきて、これで勘弁してくれ、って必死で頭を下げたことも」
 私は、何故か泣きそうになった。
 優しい思い出。きっと、これから先、母は淋しさをこの思い出に縋ることで払っていくのだろう。
 これからもずっと、父を愛し、チョコレートを食べて年老いていくのだろう。
 それは、淋しいとか、悲しいとか、きっと他人には判断出来ない。でも私は、母にとってそれは幸せのような気がした。


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