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今夜降る奇跡の下で
【純愛 恋愛小説】

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今夜降る奇跡の下で-3

考えてみれば、紅葉はいつもそうだ。どこへ行きたいとか何を食べたいだとか何をしたいかとか、とにかく彼女はそういう自分の意志を言葉にしたりしない。デートの約束も、家へ帰るのもなにもかも僕しだい。それを遠慮と呼ぶにはあまりにあんまりだ、と僕は思う。なんだか、ひょっとして自分は片思いなんじゃないかと本気で不安になる時さえある。 でも、そのことについて僕は彼女を一度だって責めたことがない。多分、怖かったのだ。聞くことが、ではなくて、確かめることが。もしも彼女は僕のことなんて好きでもなんでもなくて、ただ勢いに押されて付き合っているだけで、そして自分に向けられた気持ちがたんなる同情でしかないとしたら、それこそ僕は次の瞬間から生きていられなくなるに違いない。だから僕は、確かめることも知ることも望んではいなかったのだ。
彼女が、紅葉がそばにいてくれる。その事実だけでよかったのに。だけどやっぱり、謎にはきちんと理由が用意されていて。僕は考えられる限り、最悪な形でそれを知ってしまったのだった。
不思議なものだ。
それまで一度だって目にとまらなかった写真立てが、その時にかぎって視界に入るなんて。兄の本棚に、息をひそめるようにしてそっと置かれていたそれには兄と、彼女が写っていた。髪は今よりもずっと長く、笑顔も今よりずっと眩しい。
しかし紛れも無く、紅葉だった。裏切られた。そう思った。後で考えたら、きっと彼女もそのことに気づいていなかったのだろう。僕が、自分の愛した男の弟だとは。
そうじゃなければ、僕が怒り狂った弾丸みたいに彼女を責めまくった時、あんな顔はしなかったはずだ。心底傷つき、生きることさえやめてしまいそうな弱々しいまばたき。紅葉は、泣いていた。
それから一週間後。携帯に彼女からメールが届いた。
『さよなら。あなたを悲しませてしまった私は、もうここにはいられません。さよなら』
時間の流れは本当に一定なんだろうか。つい疑いたくなるくらい紅葉のいない時間はあっと言う間に過ぎていき、気が付けばクリスマスイヴを数日後に控えていた。考えてみれば紅葉と過ごした期間なんてほんの一握りしかない。なのに、喪失の痛みは例えようのないくらいに大きく、深かった。本当は、会いたかった。会いたくてしかたないのに、そう思えば思うほど僕は意固地になって行動には移さなかった。深夜、冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを片手に居間のソファーへ腰掛ける。
たいして興味のある番組はなかったが、とりあえずテレビをつけると、何かただごとではない映像が視界に飛び込んできた。緊急のニュースだ。
僕はコーヒーをくびくび流し込みながら、他人事のようにそれを眺めていた。どうやら飛行機の墜落事故らしい。どこかの森を裂くようにして続く凄惨な現場をヘリが飛んでいる。その音にかき消されそうになりながら、女性のアナウンサーの声が叫んでいた。「海外行きか」
どうやらそれは、イタリアミラノへの飛行機だったらしい。アナウンサーの声が、ほとんど半狂乱になりながら搭乗者に日本人もいたことを知らせていた。画面が切り替わり、搭乗していたと思われる日本人の名前がカタカナで並ぶ。瞬間、僕は缶コーヒーを落としてしまった。
「嘘、だろ」
吸い込んだまま、呼吸が止まった。そのまま止まってくれた方がどれだけ幸せだったか分からない。
『スギウラ モミジ』
カタカナで連ねられた五人の日本人搭乗者の中に、彼女の名前が表示されていた。
嘘だ。そんなの。嘘。同姓同名だ。きっと。自分にそう言い聞かせる一方で、何かが音を立てて崩れて行く気がした。


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