淫魔戦記 未緒＆直人 3-18
「私達、別れよう」
数日後。
直人の体がある程度回復するのを待って神保家を訪れた未緒は、まだ床から離れられない直人に向かってそう言った。
「……あの時の聞き間違いじゃなかったんだな」
しばし沈黙した後、直人はそう言う。
「……理由は？」
「……私のせいだとだけ答えておくわ」
「……伊織に、犯されたんだろ？」
びくっ！と未緒は体を震わせた。
「……話して、くれないか？何があったのか」
「……テレパシーみたいなもので伝えられただけだから、あまり正確ではないかも知れないけれど……」
一瞬ためらった後、未緒は話し始めた。
「……伊織の……お父さんの本名は、イオレェンフェテック・アヴェルバザイア。ちょっと情けない理由で魔界を追い出され、日本まで流れてきたの」
「情けない、って？」
直人は素直に疑問をぶつける。
「他の悪魔がいる場所で魔界の二大巨頭−サタンとルシファーを、天使名で呼んだって」
直人は思わず顔をしかめた。
魔界。
キリスト教系の魔物が住む場所の総称。
古今東西の魔界について記された書物をひもといてみればすぐに分かるが、その上層部は主に元天界の住人−堕天使で構成されている。
彼らは堕ちる際に自ら改名しているが、それにはちゃんと理由がある。
天界の住人である天使達の名に『〜エル（ミカエル、ガブリエルなど）』というのが多いのは綴りの最後の『el』に、『至善』という意味があるからだ。
だから堕ちる際に彼らは改名して『el』を捨てた。
そういう理由で『ルシフェル』は『ルシファー』、『サタナエル』は『サタン』などと名乗るようになったのである。
堕天使達は改名前の名を、あまり快く思っていない。
それを他の悪魔がいる前で堂々と呼んだなんて……。
「それまでに色々と手柄をたてていたから魔界からの追放という罰だけで済んだのだけれど……一つ、困った事があったの」
「……それが、由利子さんに君を産ませた原因だと？」
直人の言葉に、未緒はうなずいた。
「伊織は……あの人は、核があっても肉体がないの。あ、核っていうのは人間の魂に相当するもので……そのくらい、知ってるわね」
未緒は頭を振り、続ける。
「とにかくあの人は誰かの肉体を借りないと何もできないのよ。ところが追放された頃、使っている肉体の限界がきたらしいの。保ってあと三十年くらいだから、急いで新しい体を手に入れる必要があった。普通ならどこかの人間をおとしめて肉体を乗っ取るのだけれど……運が悪いのか間が悪いのか、あの人が使うのに耐えられる肉体がどこを探しても見つからなかったんですって」
直人は片眉を吊り上げた。
「そこで、考えたそうよ……ふさわしい肉体がなければ、作り出せばいいって」
「……何て乱暴な……」
苦い声で、直人が呟く。
「自分の娘を犯して自分の依り代を孕ませるなんて、まさに悪魔的な振る舞いだと思ったみたい。そして、それを実行した……その結果が今……私の、お腹の中にいる」
未緒は下腹を撫でた。
「直人、あなたが嫌いになったわけじゃない。でも……もう、あなたの傍にいる事は許されないと思うから……この子を、産んであげたいの」
憂いを含んだ表情で、未緒は語る。
「育て上げると、一ついい事があるかも知れないから」
重い−重い沈黙の後、直人はさらに重いため息をついた。
「僕に……迷惑をかけたくないから別れようと言ってるの？」
未緒がうなずく。
「……未緒。君はとても重要な事を忘れている」
「え？」
「君と僕が付き合っている事は、かなり広い範囲に知れ渡っているだろう。それが別れた後に君が出産したら、世間的には一つの見解を出すだろうね」
「あ……！」
「妊娠した彼女を捨てるひどい男なんて烙印、僕は押されたくないよ」
「でも……」
未緒の顔が歪んだ。
「じゃあ……堕ろせ、と？」
「そうは言ってない」
直人は、ゆっくりと言い含める。
「子供に、父親がいた方がいいだろ？」
その言葉の意味をじっくりと検討して……未緒は、ぶんぶんと頭を振った。
「でも、そんな……！」
「少なくとも、一人で産むより楽なのは確かだ」
「駄目よ、直人……あなたには、こんな事にかまけてる暇なんてないわ」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。僕はもう決めた。君の傍にいて、君を守りたいから」
未緒の表情が、崩れた。
「私……傍にいて、いいの？産んでいいの？」
「もちろん」
直人が微笑む。
「直人……！！」
未緒は直人にすがりついた。
激しい鳴咽を漏らし始めた未緒を抱きしめてやりながら、直人は囁いた。
「愛してる、未緒」