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『定例会』
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『定例会』-5

 「そういえばさ、由香ちゃんはどうなの、えっと、なんて言ったっけ。」
 「杉山。」
 と、悩む私に兄ちゃんが助け舟を出す。
 「そう、杉山さん。彼とはもう別れたの?」
 「ちょっと、なんで別れてることが前提なのよ。まだちゃんと付き合ってます。」
 「へえ、今回は結構長持ちだね。」
 「割とね。たまには悪くないわ、長く一人の人と一緒に居るのも。」
 その台詞に、兄ちゃんは「やれやれ」といった風に息を吐いて、私は「なるほど」といった風に息を吐く。
 由香ちゃんの恋愛観というのも、少し変わっている。由香ちゃんは、恋愛というものを、単に寂しさを一時的に沈めるための便宜的な手段くらいにしか思っていない。
 ある期間独りを満喫し、孤独がある程度蓄積したら、それを消費するためにだれかと付き合う。相手は誰でもいいというわけじゃないけど、唯一無二的な存在というわけでもない。孤独があらかた消費されてしまったら、また独りになって孤独を蓄える。
 本人曰く、恋愛というものは、ある他人との相互協力の下に行う孤独の解消。らしい。
 それから、もう一つ由香ちゃんのポリシー。「『切る』のは絶対に自分からよ。」とのこと。傷ついてしまったら元も子もないそうだ。じゃあ相手が傷つくのは?と聞いたら。「それはその人の問題であって私には関係のないことだわ。」らしい。
 恋愛について、多少風変わりな見解をそれぞれ持っているというのが、私たち三人の共通事項の一つだ。多分、それは両親の離婚に起因し、兄弟間の奇妙な絆によって育まれてしまったのだろう。
 兄ちゃんの場合は、由香ちゃんほど恋愛について温度の低い考えを持っていない。むしろいささか理想主義に過ぎるきらいがあるくらいだ。ただし、世の中の恋愛と呼ばれているものの九割は、たんに都合を満たすための偽物に過ぎないという風に考えている。(由香ちゃんのそれも、そこに含まれているようだ。)
 私の場合は。
 私は、どうだろう。よく分からない。おかしな話だ。自分のことよりも兄と姉のことを良く知っている。
 鍋の具があらかた三人の胃に収まり、さらにうどんが足され、それがまた無くなる頃には、私たち三人の口数も減ってきた。
 食事が完全に終わるのとほとんど同じタイミングで、私たちの会話も途絶える。
 それから私たちは思い思いに寛ぐことになる。
 床にごろんと寝転んだり(これは由香ちゃん)
 爪切りをはじめたり(これは兄ちゃん)
 ぼうっとテレビを眺めたり(これは私)
 私はこの時間が好きだ。部屋の真ん中の少し上のほうに、ボンヤリとした形の沈黙が、親しみを持って浮かんでいる。それは次第に大きくなって私たち三人をすっぽりと包み込む。その心地よく柔らかい空間を、私たちは共有する。
 会話を交わしている時よりも、私たちは通じ合っている気がする。この沈黙は、埋めるべき空白としての沈黙ではない。それ自体意思が込められた、意味のある沈黙だ、と私は感じる。
 今、私たちは、会話を交わすのと同じように、沈黙を交わしているのだ。
 こんな風に、沈黙を共有できる相手なんて、きっとほとんど居ない。私の場合、それは多分この兄妹たちだけだ。と思ったけど、ふとここで佐藤君の顔が浮かんだ。そうだな、佐藤君も加えてもいいかもしれない、そのうちの一人に。
 テレビの歌番組には、最近話題になっている若いバンドグループが出演していた。私はその歌をぼんやりと聞く。どちらかといえば消極的に。
 素敵な声だ、と思った。でも、それに比べて歌詞やメロディーラインは今一つ魅力に欠けていた。悪い歌じゃないけれど、ある種の特別さを感じさせるその声に比べ、歌自体は凡庸で平坦だった。それがなんだかアンバランス。奇妙に体だけが大きくなった中学生を見ているかのような。いつか成長がそのアンバランスさを消してくれるかもしれない。けれどそれまでキチンと生きていかれるかどうか分からない。そんな印象を受けた。でもひょっとしたら、そのアンバランスな不完全さこそが、若い聴衆に受け入れらているのかもしれない。歌を通じての、ある種の不完全さの共有。多分、そういうことなのだろう。
 けれど私はやっぱりその歌にそれほどの魅力を感じなかった。だって、そのような不完全さの共有を、私はわざわざ歌に求める必要などないのだから。そう、部屋を見渡しながら私は思った。


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