投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

君の名前
【純愛 恋愛小説】

君の名前の最初へ 君の名前 3 君の名前 5 君の名前の最後へ

*** 君に会いに行く ***-2

僕が持っていたのは、小さな一冊の日記帳だった。表紙はイタリアの町並みの写真がプリントされていてとても洒落ている。前部座席の背中についている小型テーブルの上にそれをコトン、と立てる。さっきまでトリップしていた遠い世界が、まるで耳に残る潮騒みたいに、心の中で余韻を残していた。
キョウコは文面の中でこれを手紙といっていたけれど、どう見てもこの厚さは日記帳だろう。まぁ、実際かかれている量を見たら、やっぱり手紙かもしれないけれど。
なんだってまた、彼女はこんなものを選んだのかと最初は戸惑ったが、よく考えてみたらなんとなく分かった。多分、手紙として終わらせるのが怖かったのだ。こんなに分厚い日記帳なら、たくさんページもあまるから、なんとなく寂しくなかったのだろう。まったく。
一人になるのが人一倍苦手なくせに、自分から一人になることを選ぶなんて、キョウコもどうかしている。僕はため息をついた。

恋人のキョウコが僕の前から姿を消したのは、今から一週間ほど前のことになる。
地震や火事のように、あまり突然の、予期せぬ別れだった。
その日は大学も休講で、ひまを持て余していた僕は、なんとなく彼女のアパートを訪ねた。
キョウコがいないことはすぐに分かった。彼女の名前のプレートがなかったり、インターホンをいくら鳴らしても返ってくるのは沈黙だったり、そういったことももちろんそうだけど、それよりも、もっと感覚的なもの。目で見るものや、事実から理解するものじゃなくて、もっと鋭い、直感的な感じで僕は悟った。
濃度の薄い、閑散とした空気。
ドアの下にたまった、埃や砂。
外から斜めに差し込む、薄い西日。そこにのびた一本の影。
キョウコは、もうここには帰ってこないのだと、胸が痛くなるくらい分かった。
動揺とか、悲しみとか、孤独感とか、あまりにたくさんの感情が波のように押し寄せてきて、もうその気持ちをなんと言っていいのかさえ分からなかった。
骸のような自分を、とぼとぼと雪のうえで引きずって家に帰った。
キョウコからの手紙に気がついたのは、偶然、郵便受けを開けた時だった。急いでいたのか、中身のサイズには全然あっていない、大きな封筒だった。まるで、大人の靴を子供がはいている感じによく似ている。
慌てて取り出すと、僕はその封筒を胸に抱いて玄関へ入り、靴を投げ捨て、階段を駆け上って自分の部屋へ入った。
キョウコの居場所を知ることが出来るかもしれない。少なくとも、彼女が姿を消してしまった理由くらいはわかるはずだ。
何かにとりつかれたように、硬い封筒をガムテープの下から破く。と、中から出てきたのは、一冊の日記帳だった。まだ新しいにおいがする。

左手の小窓。
そこから景色を覗いてみる。
最初に目に付いたのは、飛行機の翼だった。鉄で出来ているのだろうけれど、それでも不安に思うくらい、揺れている。きしむ音まで聞こえてきそうだ。空気を裂くのに、それ程、負担がかかるとは思わないのだが。
少し視線を下げると、綿あめがほつれたような白い雲の隙間から、地上が見えた。岩のような山脈が所々に雪を乗せて、こっちへ向かって尖っている。
あれは・・・確か、アルプス山脈かヒマラヤ山脈のはずだ。前に、飛行機から見えるのだとキョウコから聞かされた記憶がある。
彼女は、とてもイタリアを愛していた。誰かが誰かを愛するように。それと同じだけの強さで、愛着を持っていた。僕には不思議でたまらなかった。好きなら好きで別にかまわないのだけれど、彼女の場合、そのレベルが、例えばいつか旅行へ行ってみたいとかというのとは全く別なところにあった。だから以前、なんでまたイタリアなの、と聞いたことがあった。

あれは彼女の部屋にいる時。ロフトの上に置いてあるラジカセから流れるヒップホップを聞きながら、注文したピザを手にとって、彼女は困ったように額にしわを寄せて言った。
「分かるわけないじゃない。そんなの」
当然、困ったのは僕の方だった。聞かなきゃよかった、と後悔した。
そんな僕を見ながら、キョウコはちょっと笑うと、そうねぇ、と言った。
僕のために、元はなかった答えを必死に探してくれている顔だ。


君の名前の最初へ 君の名前 3 君の名前 5 君の名前の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前