聡美(一.)-1
久藤聡美は二十二歳で大学を出ると、地元の広告会社に入社し、そこで史明と出会った。
はじめて出会った時の史明の印象は、堅物で実直、気難しいといったように、あまり好印象だったわけではない。ただ、いざ打ち解けてみると、意外にも冗談を言い合うことや、読書や映画鑑賞が趣味だった聡美と話の趣向が合ったこと、また、五歳上の先輩である史明は仕事上でも頼もしかったこともあり、聡美は次第に好意を寄せるようになっていた。
あるとき、仕事で重要な案件を任された史明は聡美とペアを組むことになり、それをきっかけに二人の距離は急速に縮まった。
何度か聡美を夕食にさそい、そしてとある夜、とうとう二人は結ばれる運びとなった。
史明は性行為のあいだもけっして傲慢ではなかった。前戯にはたっぷり時間をかけ、聡美のことを気づかい、自分勝手な行動はつつしんだ。
もともと聡美は男性経験が多いわけではなかった。大学に行く前は女子高に通っており、史明と知り合う前に交際があったのは大学時代に所属していたサークルの先輩のみである。
サークルの飲み会に参加した聡美は、帰り際、酔っぱらった先輩になかば無理やりホテルにつれこまれ、そこで初体験をむかえた。
そのときの印象は驚くほど残っていない。不安と緊張で頭が真っ白になっていたというのもあるし、聡美も酔っぱらっていてまともに思考回路がはたらいていなかったのも原因かもしれない。ただ股間に鈍い痛みと違和感があっただけで、いつのまにか行為は終わっていた。
その後、先輩とは交際したものの、すぐにサークル内の別の女子に手を出していることがあきらかになり、わずか三カ月たらずで破局した。それからも街の中でナンパされたり、親しい男の友人から告白されたこともあったのだが、なんとなくそんな気分になれなかった聡美はすべての交際を断っていた。
そして史明と結ばれたとき、聡美は初めて性のよろこびを知った。誰かを愛し、愛されることがこういうことなのかという実感があった。
翌年、二人は晴れて入籍し、時期を同じくして聡美は広告会社を退職した。
それからまもなく長女の明日香が生まれ、その四年後には長男の智司が生まれた。
聡美は育児に追われ、史明は仕事が忙しく夜遅くまで帰ってこないため、そのころから夫婦の営みの回数は目に見えて減っていった。とくに、長男の智司が病弱だったこともあり、いくども大小さまざまな病気をくりかえしていたため、聡美は気が休まる暇もなく、史明も休日などには積極的に育児には協力してくれたものの、お互いにそのような行為に及ぶ余裕はなかったのである。
年月が過ぎ、明日香は小学校にあがり、智司も成長して病弱だった体質も改善してくると、ようやく夫婦のあいだにも余裕ができてくるようになり、少しずつではあるが史明のほうからさそってくることがあった。しかし、お互いにもう以前のような若さはなく、史明には仕事の疲れや、夫婦間の馴れも手伝って、かつての気づかいや丁寧さは影をひそめるようになっていた。前戯の時間はあきらかに短くなり、衣服を脱ぐことなく行為に及んだり、あるときなどはお互いに下着をおろしただけでいきなり挿入してきたこともあった。
そのような行為が快楽をよぶはずがない。不快感と痛みをあらわにした聡美は手を伸ばして史明を遠ざけると、史明は急に冷めたような表情になり、衣服の乱れを直すとそのまま横になって就寝してしまった。その後、史明のほうから行為をさそってくることはなかった。
もちろんはじめのうちは寂しさを感じたものの、夫婦の仲にはさほど影響はなかった。もともと結婚後の夫婦とはそういうものだろうと思っていたし、それほど性欲が強いほうではなかった聡美は、ただ夫と子どもたちが病気やケガもなく無事に過ごしてくれればなにも言うことはなかったのである。
子どもたちも成長して大きくなり、手間がかからなくなって家事にも時間にも余裕がでてくると、聡美は空いた時間にパートタイムで働くことを検討し、それを史明に相談してみた。
史明はとくに難色を示すこともなく、家庭に影響がない範囲でならと了承してくれた。
それからインターネットの求人サイトで見つくろった求人に応募し、聡美は自宅から自転車で十分ほどのところにある書店で働きはじめることになった。
ひさしぶりの労働だったので不安もあったが、すぐに慣れることができた。年齢が近い同僚の佐々木さんとも仲良くなり、そのころは毎日が充実して、とくにこれといった寂しさや不満を感じることもなかった。