幼女の唾液と歯垢の匂いで 〜愛美6歳〜-2
15時。入口ドアが開くと鳴るブザー音が、愛美ちゃん親子の到着を知らせた。
「先生申し訳ありません、急に予定を変更してしまって…」
「いえいえ、お気になさらないでください、むしろお忙しいのに来院いただいてよかったです、歯は早いほうがいいので」
私はにっこりと笑いながら言った。「ご来院いただいてよかった」は、心からの本音だ。
「愛美ちゃん、来てくれてありがとう、歯は大事だからね、今日は痛いことや怖いことはないから、心配しないでね」
母親の後ろに隠れるようにして、不安気な瞳で私を見上げる愛美ちゃんに、母親に対して以上に心を込めてそう言った。
なにが「怖いことはない」だか。
愛美ちゃんは、先月のゴールデンウイーク明けに実施した歯磨き講習に参加した児童のうちのひとりで、小学校に上がったばかりの6歳の児童だ。
ややぽっちゃりで、キッズボブがかわいい。
愛美ちゃんの、歯磨き講習で口腔診査したときに嗅いだ、子ども特有の遊び疲れたあとの生理的口臭も、私好みだった。
診査してみて、積極的にPTCする必要は感じなかったが、愛美ちゃんで目的を果たすために勧誘した。
私の「ありがとう」に、ちょっと意外そうに首をかしげた愛美ちゃんは、すこし安心したのか、ところどころ乳歯が抜けた歯列を見せて、にへっと笑った。
その、生え変わり時期の、幼児の歯並び。
下半身の血流がもう騒ぎ始める。
「先生、それで実は」
「はい？」
下半身のたぎりに一瞬気を取られた私は、いささか素っ頓狂な声で返事した。
「自転車がついさっきパンクしてしまって…娘を診ていただいている間、ホームセンターで修理してもらおうと思っていますが、よろしいでしょうか？」
渡りに船だ。
「はい大丈夫ですよ、30分くらいで終わると思いますので、そのころお迎えにお越しください」
「ありがとうございます、なるべく早く戻りますので」
どうぞごゆっくり。
愛美ちゃんのお母さんは、問診票に記入したり保険証を私に預けたりすると、
「お母さん自転車直してもらいに行ってすぐ帰ってくるからね、先生の言うことちゃんと聞いて、いい子にしてね」
と愛美ちゃんに言った。
愛美ちゃんは一瞬泣きそうな顔になったが、聞き分けのいい子なのだろう、こくんとうなずいた。