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白衣の天使
【その他 官能小説】

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白衣の天使-4



 帰り支度を済ませた椎名が廊下へ出ると、私服姿の恵麻がちょうど女子更衣室から出てくるところだった。ダウンジャケットにジーンズという出で立ちは、これから夜の町に繰り出す活発な二十代の女の子にしか見えない。
「お疲れさまでした」
 型通りに恵麻が労う。メークした顔に、めずらしく表情が浮かんでいた。
「お疲れさま。それじゃあ行こうか」
「あ、ちょっと待ってください」
 恵麻に呼び止められ、椎名は振り返った。どうやらマフラーの巻き方が雑だったらしく、ちょうど恋人同士がいちゃつくくらいの距離で恵麻の腕が椎名の首に回される。
 これでは僕がセクハラしているみたいじゃないか、と椎名はできるだけ目の前の潤んだ唇から視線を逸らしたが、恵麻から香ってくる甘い匂いはなかなかに手強かった。
「これで大丈夫です。では、先生のおごりで食事に行きましょう」
 恵麻は顔色ひとつ変えずに踵を返すと、ぽつんと灯りの灯った玄関に向かって歩き出すのだが、そこにうずくまる人影に気づいて思わず声を失った。ドアの外に女性が倒れている。
 恵麻はすぐに駆け寄った。女性はかなり衰弱している様子だった。それを椎名に説明すると、途端に彼の表情が険しくなった。
 女性は病室のベッドに運び込まれ、恵麻が点滴を打った。椎名はしかるべき処置をおこない、意識の朦朧とする女性に呼びかける。
「どこか痛みますか?」
 いいえ、というふうに女性の首が横に動く。呼吸が乱れ、息苦しそうにしてはいるが、幸いにも外傷はなさそうだった。年齢は三十歳くらいだろうか。
 今夜は泊まりになりそうだな、と椎名はひたいの汗を手で拭った。恵麻も同じ思いなのは確認するまでもない。私服からナース服に着替え、女性の身の回りのことを献身的におこなっているのだから。
「私、コンビニで夜食でも買ってきます」
 女性が寝息を立て始めたので、恵麻はハンガーにかかった上着を掴んだ。ポケットには懐中電灯も準備してある。
「いや、外は暗いし危険だ。僕が行く」
「そうですね」
 椎名の言う通りだった。恵麻は彼に、好き嫌いはないので夜食は何でもいいと言った。椎名が片手を挙げて応じる。二人きりの食事会デートとはいかなかったが、今夜はコンビニで我慢しようとお互いに開き直った。
 診療所とコンビニを車で往復するあいだ、椎名はハンドル操作をしながらぼんやりと考え事をしていた。椎名診療所が町の人たちから必要とされていて、そのおかげで存続できているのはよくわかるのだが、患者数が右肩下がりで減り続けているのはどういうことか。
「そりゃあ椎名先生の腕がいいからでしょう」とか「ここの温泉に浸かれば十歳でも二十歳でも若返る」なんて声もあったが、医師としての見解はこうだ。
 海外のみならず日本の医療技術が進歩し、人間の健康寿命が世界的に延びているからだ。いわゆる超高齢化社会の幕開けである。人工知能の台頭も多少なりとも影響しているだろう。
 患者が減り、医療従事者が減り、いつか病院そのものが消える。そんな未来で生き残った人間は一体どこへ向かうのか、考えれば考えるほど気分が滅入る。
 そんなわけないか、とコンビニの袋をぶら提げた椎名が診療所に戻ると、誰も使っていないはずの病室から灯りが漏れていた。ドアを開け、中を確かめると人がいる。
「おっ、と……」
 そこにいたのは恵麻だった。膝を抱えた姿勢でベッドに横たわり、穏やかなな表情ですやすやと寝息を立てている。どうやら仮眠のつもりが熟睡してしまったようだ。
 こうして寝顔を見ている分には普通の可愛らしい女の子なのだが、異性に免疫がないのか、とくに椎名に対しては冷たい態度を取る傾向にあった。
 嫌われているのかな、と思うこともしばしばだが、裁縫のことと言い、弁当のことと言い、年齢の割にはしっかりしたところがあるから結婚には向いているのかもしれない。
「黙っていれば美人なんだけどなあ」
 つい心の声が漏れる。すると恵麻の目蓋がうっすらと開き、寝返りを打ったあと、悩ましい吐息をつきながらゆっくり上体を起こした。はだけたナース服から下着が見えそうだ。
「ごめん、起こしちゃったかな」
 椎名は恵麻の太ももから視線を外した。下着は見えなかった。
「椎名先生……」
 恵麻はまだ寝惚けている。椎名の顔を見て熱っぽく微笑み、徐々に覚醒すると、寝ていたことに気づいて小さな悲鳴をあげた。
「やだ、私、どうしてベッドなんかに」
「疲れていたんだろう。気持ち良さそうに眠っていたよ」
「もしかして私に何かしました?」
「してないよ。神様に誓ってもいい」
「じゃあ、私が先生を誘惑したとか?」
「とんでもない。もし君に誘われたとしても僕は指一本触れないから大丈夫」
「そうですか。でもそれって、私に女としての魅力がないってことですよね?」
「まあまあ、落ち着いて。いつもの君らしくないなあ」
「先生は、私に興味がないんですね」
 椎名は硬直した。まんまと地雷を踏んでしまったようだ。いや待てよ、ピンチはチャンスとも言うではないか。こうなったらすべての地雷を踏んででもプロポーズしてやる。
「高崎さん、じつは君に話したいことが……」
「冗談です」
「えっ?」
「ですから、冗談です」
「あ、そう……」
 全身の力が抜けた。一体どこからどこまでが冗談なのか椎名にはわからなかったが、不発弾にだけはくれぐれも注意しようと思った。そして生きていくためには食わねばならない。
「ああそうだ、おにぎり食べる?」
「はい、いただきます」
 恵麻はおにぎり受け取り、黙々と頬張った。いつかこの埋め合わせをしてくれることを期待しながら、どこまで意気地なしなのかしら、と椎名の鈍さにはため息しか出なかった。


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