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白衣の天使
【その他 官能小説】

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白衣の天使-2



 温泉街に今年も雪の便りが届いた。ラジオから流れるノイズ混じりの予報によれば、夕方頃まではところにより大雪になる見込みだという。
 どうりで寒いと思った、と恵麻は待合室の石油ストーブに火を入れると、どこからか吹き込んでくる隙間風に身震いした。
 診療所の建物自体は老朽化が進んではいるものの、廃校になった小学校を改築した造りになっており、当時の面影がまだあちらこちらに残されていてどこか懐かしくもある。
「人間の年齢で言うと還暦くらいだろうね」
 そんなふうに椎名が診療所について漏らしていたことがある。人間も建造物も寿命が尽きたら役目を終えてしまうけれど、寿命の長さはみんなそれぞれ違う、とも言った。
「花の寿命は短いなんて例えられるけど、花の種類によっては長いものもあるし、どれだけ愛情を注いだかによっても変わるんだ。残念ながら僕らが関わっていいのはそこまでだよ。どれだけ医療が進歩しようと、その先には踏み込んではならない神の領域がある」
 何の話をしているのやら恵麻にはさっぱり理解できなかったが、愛着のある診療所の建物はこのまま残しておくのだな、と胸を撫で下ろした記憶がある。
 ふと、出入り口のドアが開いて一人の男性が入ってきた。帽子や肩にかかった雪を手で払いながら、がに股でのしのしとこちらに向かって歩いてくる。エスキモーみたいな格好をした、かなりの大男である。
「すみません、午後の診察は十五時からなんですけど」
 見慣れない男性を不審に思い、恵麻はすぐそばの柱時計を確認しつつ身構えた。時刻は午後一時を過ぎたところだ。殺気を感じさせる目元にだらしない無精髭など、この町には相応しくない印象の男性である。
「ほう、こいつは好都合だ」
 にやり、と男性の口がいびつに吊り上がる。そして品定めをするような視線を恵麻の全身に這わせたかと思うと、自分の上着のポケットを示してこう言う。
「手荒なことはしたくない。さっさと診てくれ」
「ですから、今の時間は先生が不在なので診れないんです」
「だったら君がやればいい。それともこの病院は、瀕死の患者を見捨てて追い返すのか?」
「ここは病院ではなく、診療所です」
「細かいことはどうだっていいんだ。つべこべ言わずに診察しろ。俺が君を指名したんだ。君がやれ。さもないと──」
 声を荒立てる男性がポケットから何かを取り出そうとするので、さすがの恵麻も冷静ではいられなかった。
「わかりました。では、こちらの問診票を書いて提出してください」
「俺は急いでるんだ!」
「でしたら余所の病院でお願いします。救急車を呼べば搬送してもらえるでしょうけど、ご自身の車で行くにしても、この雪ですから」
 遠くを見つめる恵麻の視線を追い、男性の視線も窓の外に向く。絶望的とも幻想的とも言える光景がそこに広がっていた。
「いかがなさいますか?」
 恵麻が低姿勢でたずねると、男性は黙ってペンを掴み取り、渋々といった感じで問診票の記入欄を埋めていった。達筆な文字を書くのが意外だったが、そんなことよりまずは診察である。
 かつては理科室だった診察室で向かい合う二人を、内蔵を露出させた人体模型が静かに見守っている。椎名がいないのは心細いが、勝ち気な性格の恵麻は我慢することにした。
 もし卑猥な言葉を浴びせられたら、もし体を触られたら、もしそれ以上の行為を要求されたら──恵麻はだんだん頭痛がしてきた。
「左手を出してください……」
 問診票の症状の欄には「左手に怪我」とあった。果たしてどの程度の怪我なのか、恵麻は男性の左手をおそるおそる導いた。胸と下腹部、先に狙われるのはどちらなのか、心の準備もしておかなければならない。
「失礼します……」
 恵麻は細心の注意を払って男性の左手を迎えにいき、いよいよ二人の手が触れ合う瞬間、それまでおとなしくしていた男性の表情が一変した。
「痛っ、痛たたたたっ!」
 その痛がりようといったら尋常ではない。もしかしたら骨が折れているかもしれない、と恵麻はレントゲン撮影を男性に勧めるが、どうも様子がおかしい。
「違う。痛いのは骨じゃない。こっちだ!」
 男性の左手をもう一度よく観察していた恵麻は、痛みの原因を即座に見抜いた。彼を苦しめていたのは肉眼では見えないくらい小さな小さな棘だった。
「おそらく植物の棘ですね。消毒しますので、そのままじっとしていてください」
「先生、痛いのだけは勘弁してくれ!」
「騒ぐと傷口が開きます。それから、私は先生ではなくただの看護師です」
 すっかり立場の逆転した恵麻は手っ取り早く消毒を済ませると、清潔なピンセットでもって少々荒っぽく棘を抜き、ふたたび患部を消毒してから突き放すように言った。
「治療は以上です。お大事に」
 時間にしてわずか数分だった。男性は狐に摘ままれたように放心していたが、帰り際にこんな裏話を告白してくれた。妻の記念日に買った薔薇を飾っていたところ、誤って棘に触れてしまったのだと。
 いいなあ、と恵麻は頬杖をついて胸をときめかせた。バイタルサインは正常に戻ったが、どこかで油を売っているであろう人物の顔を思い浮かべると体の内側が熱くなり、ため息が出た。


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