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『手』
【ホラー 官能小説】

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-1

バイトが休みの日、陽菜は不動産屋へ出向いた。予定した時間に行くと、既に店舗の前で冴えない感じの中年男性が待っていた。
「吉田さん…」
ですか?と言う間もなく、
「あーどうもどうもどうも」
と返された。木田の担当をした男性だ。
「お忙しいのにすみません」
「いやいや、いいんです。それよりこの度はお兄様が…その、申し訳ございませんでした」
約束を取り付けるための都合上、陽菜は木田の妹と偽ったのだ。吉田は店舗の裏口から陽菜を招き、事務所へと通した。表の窓口では話をしたくないのだろう。
「お兄様の様子はいかがでしょうか?」
「はい、今は点滴と食事で。少しずつですけど回復に向かってます」
吉田は大きく溜め息をつきながら、良かった、と呟いた。それが決して陽菜の前だけで取り繕うものではないことは確かだった。
「あの物件、どうして兄に住ませたんですか?」
「妹さん…陽菜さん、でしたか?見えるということで、おそらくお兄様の異常をいち早く察知して下さったんでしょう。そういうものが見えてしまう方だから隠さずに話します」
木田の住んだ訳あり物件は、3階建てのアパートの2階、Iの字をした建物のちょうど中央の部屋だ。このアパートの部屋全て、吉田の勤める不動産が入っているのだが、吉田がこの店舗に移動してきた時から既に訳あり物件だったというのだ。
「え、ちなみに吉田さんはこちらでどのくらい…」
「14年になりますかね。25の時に来たので。前の支店長からは聞かされてたんですよ。あのアパートはヤバいってね」
「その兄が住んでる203って、何かあったんですか?」
「いや…古い人間に聞いても思い当たるような事件はなかったらしいんです。だけど、もうずっと前から…それこそあのアパートが建って以来ずっと、人の移り変わりが激しいところなんです」
吉田が言うには男性も女性も殆どが1年待たずに出ていくのだそうだ。不思議に思った先任者が、1度入居したばかりの人に住み心地を尋ねたのだそうだ。すると、皆が口を揃えて良い場所だと答えたのだと言う。しかし、全員退去するときには痩せ、頬がこけて目もクマができていたらしい。
「まだ昔はその程度だったんですよ。だけど、私が勤め出して5年が経った頃からですねぇ。」
入居者がおかしくなっていったのは。その頃からある日忽然と、入居者だけが姿を消すようになったのだそうだ。
「夜逃げ…とか」
そうじゃないことは分かっていたが、陽菜は胸の奥に沸き起こり始めた不安を無意識のうちに消したくなり、現実的なことを呟いた。
「私もそう思いたかったんですけどね。財布、通帳、携帯、最低限必要な物すら全て残されたままなんです。警察が調べてみたら、通帳から1円もお金が引き出されてないんですよ」
結局、その後の約10年間で入居したのは木田で18人目。失踪が11人、4人が変死、2人が精神に異常をきたし、今も拘束衣を着て入院生活を余儀なくされているらしい。
「でも…………1年以内に移り変わると言っても、18人ってすごいローテーションですよね」
「あ…いえ、違うんです。203だけじゃなくて、このアパート全体がそうなんです」
「ええ?」
思わず大きな声で聞き返してしまった。
「全室訳あり物件なんです。他の部屋は全てリストから消したんですよ。いや、203もです。でもね、なぜか203だけ何度消してもリストに舞い戻ってきたかのように現れるんです。今年も昨年も仕事初めにね、近くの神主呼んでお払いしてもらって、紙に出てた203の物件情報全て引き取って焚き上げしてもらってねぇ、それでもいつのまにかファイルの中に他のリストと一緒に挟まってるんですよ。ある年なんかパソコンごと買い換えて中のデータも全て新しくし直して、それでもデータもいつの間にか復元されてねぇ、私もどうしていいか分からんのですよ!」
陽菜の声に触発されたかのように吉田も徐々に興奮していった。お客の身内相手に声を挙げてしまったことに気付き、小さくすいません、と呟くと、吉田は冷静さを取り戻した。
「お兄様と契約してた時も、この物件は最初出していなかったはずなんです。」
「でも、いつの間にかそこにあった」
「…としか言えないんです。見えない方、実際に関わっていない方にお話ししても、頭のおかしな言い訳にしか聞こえないので。今まで誰にもお話ししたことはありませんでした」
吉田は項垂れた。誰にも話せなかったことをやっと打ち明けられたことが、申し訳ないと思いつつも胸の内を軽くした。
「吉田さん………それ…」
陽菜は全身の産毛が逆立つような恐怖を覚えた。項垂れた吉田の手に、いつの間にか開いたファイルが乗っていたのだ。
「くそ…またか…」
吉田はファイルをテーブルの上に置いた。そこには件の、203号の情報票が入っていた。
「お兄様が入ったあと、私はちゃんと目の前で燃やしたんだ。二度と誰も住まないようにって」
でも、実際に目の前に…。陽菜は無意識のうちに手を伸ばし、ファイルに触れた。

目を開くと天井が見えた。夜?いつの間に帰って眠ってしまったのだろう。陽菜は自分の行動を思い返しながら体を起こそうとした。だが体は動かない。それに天井が自分の部屋とは違う。そこで気付いた。
私、不動産屋で吉田さんと面談をして、目の前にファイルが…。その瞬間、ここが203号だと瞬時に把握した。でもなぜ…。
助けて…助けて…声が出ない。心の中で読経を試みた。
「そんなものでどうにかなるって思ってる?」
耳元で若い女が喋った。そう感じたのも仕方がない。耳に息までかかったのだから。生温かい舌が陽菜の耳から首筋に向かって這っていった。
ふふふ…
女の含み笑いが聞こえる。目の前に『手』が現れ、陽菜の体を蹂躙し始めた。陽菜の恐怖は消え、生まれて初めて耐えられない程のオーガズムに打ちのめされた。


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