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私の血液は冥王星に似ている
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私の血液は冥王星に似ている-1

崩れてしまったのは、空か、私か。それとも、君か。

仕事を終え、帰宅した私は、おそらくはもう床についているであろう家族を気遣って、足音を響かせぬよう四階まで階段を上がり、ドアの前に立つと静かに鍵を回し、家の中へと入った。
私の予想に反して、居間の明かりはついていた。私は靴を脱ぎながら、ひょっとしたら妻は起きて私の帰りを待っているのかもしれないと思った。

ドアノブに手をかけ、居間へのドアを開く。その時に発する、僅かな軋みの音がいつも私を不愉快にさせるのだが、その夜は違っていた。妻が起きて待っていてくれている事が、私の心を小さな幸福で満たしていたのだ。

居間に入った私は混乱した。視覚に全神経が刹那、集中する。私の眼前にある光景。その状況は理解しがたく、いや、もしかしたら私はそれを理解する事を拒否していたのかもしれなかった。
人は、予想を遥かに超える恐怖に襲われた時、自意識と無関係に気を失わせる。防衛本能。熱いヤカンを触り続ける事は出来ない。反射神経。
それらが、私にその状況を理解してはいけない、と警告していた。目を逸らしていた。

部屋の真ん中には、先月三歳の誕生日を迎えたばかりの娘が横たわっていた。ぬるぬるとした、赤黒い血液にその身を浸して。
一目で絶命している事が分かった。その隣りで膝を抱えてがたがた震えているのは、他でもない私の妻で、右手に包丁を握っていた。毎日、食事を作るために肉やら野菜やらを切り刻んでいた包丁だった。妻が殺したのだ。私の最愛の娘を。
「おかえりなさい」
ドアを開けたまま立ちすくんでいる私に気付いた妻が声をかけた。
「ただいま」と私は応えた。私は身動きがとれず、妙に静かな夜だ、と的はずれな事を考えていた。
「殺しちゃった」
「うん」
「なんでだろう?」
「それは、私が訊きたい」私はドアを閉め、足下にビジネスバッグを置き、ネクタイを緩めた。
「怒らないの?」妻がそう尋ね、私は、分からないと応えた。怒りは感じなかった。ただ、やけに五月蠅いこの静寂に嫌気がさしていた。
「あなた、夕食の準備をしなくちゃね」立ち上がろうとした妻を、私は首を振って制した。「いや。いい。腹は減っていない」
「そう」
「娘は、本当に死んでいるのか?」
「死んでいるわ」と、妻は言った。
「私はこの子を何度も何度も刺したから。血がたくさん出て、服も絨毯もすっかり汚れてしまって。それで、もうやめなくちゃと思っても止まらなくて、このままだと私の振り下ろす刃物のせいで、この子はぐちゃぐちゃになってしまうと思ってようやく止めたの。もう死んでいたわ。だって、こんなに血が……ああ、私は一体何を。私は気が狂ってしまったのかしら?」
私はその様を想像する。娘の死体と想像とがリンクし、私は言葉の代わりに胃液を吐いた。
一体どうした現実なのかこれは。まるでおとぎ話か、リアリティの欠けたニュースショウのようではないか。母が子を殺すなど、現実の出来事だというのか? そもそも、人は人を殺すのか? 本当に?
私はあくまで部外者で、傍観者として眺め、それが現実に起こりうる可能性について考えた事はなかった。そのような悲劇は、あくまでテレビの中の出来ごとであって、私の生活とはかけ離れたところにあるのだと感じていた。
異質な物質が入り込んで来たような不愉快さが私を包んだ。

「これは。現実か?」
「夢ならいいわね」と妻は微笑もうとした。だか、それは失敗していた。妻はまだ震えていた。僅かに。
「私はどうすれば良い?」
「警察を呼ぶ?」
私は無慈悲な警官に連れ去られる妻の姿を想像した。そうしたら、妻はおそらくはしばらく日常へは戻れないだろう。私と一緒に過ごす事もなくなるだろう。私は妻を確かに愛していたのだ。妻をこのような形で手放すのは、私の望むところではない。
だが、その一方で私は我が子の命を奪った、妻の一部分に許しがたい怒りを覚えていた。許せるはずがない。だが、愛する彼女を手放す事も望めない。その二つの感情が今にも私を押し潰してしまいそうだった。


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