助走-1
▲1▲
▲ 助走
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ピンポーン。
……。
……ピンポーン。
………。
ピンポンピンポーン。
………。
(……んん…?)
なんだコレ?
けたたましい電子音を聴きながら、自分が眠ったまま握りしめていた物体が、ホワイトボード用の黒マーカーだったと気づくまで、随分時間がかかってしまった。
……ピンポンピンポーン。
安っぽいドアホンの音がしつこく鳴り響いてるのと、アタシの頭がひどい頭痛に襲われていることに気が付くのがほぼ、同時。
ややかたむいて見える見馴れたリビングの景色が、実はアタシの方が真っ直ぐ立ち上がれずにふらついているだけだと気が付いた拍子に、ひざがぶつかったガラステーブルに並んでいた、空っぽの缶ビールと缶チューハイの群れがガラガラと転がり出す。
「……ツっ!!」
薄っぺらいスチール缶たちがこすれあう小さな音でさえ、耳の穴に紙ヤスリを差し込まれたような痛みとなって、こめかみに突き刺さる。
(……うえぇ、ナニコレ頭痛てぇ)
クラクラする頭を左右に振りながら、いままで眠り込んでいたソファーのまわりを見渡すと、つぶれた宅配ピザのカラ箱が2つと、パセリと鶏の骨が残ったオードブルのパック、そしてひとくちだけかじった歯形のついたカボチャのタルトが床に転がってる。
さらに言うと、ゆうべヤケ買い&ヤケ食い&ヤケ飲みしたそれらが、全部まとめて胃のなかから返品されたペースト状の物体になって、リビングのゴミ箱をいっぱいに満たしていた。
(うゎ臭ッ……何時まで飲んでたんだっけ?……後片付けどうしよう)
かなり記憶が飛んじゃってる。
(あのLINEのあと、かなり飲んで……確か、「アンタまた飲みすぎだよ」とか偉そうに文句言ってきたアカリとケンカになって……それからどうしたんだっけ)
とりあえず、ゲロ臭い口臭を誤魔化したくて冷蔵庫から牛乳を取りだし、ひとくちだけ飲みくだす。
冷蔵庫のドアに取り付けてある小さなホワイトボードに留めてあった、A4サイズの子供会のイベント案内が、赤いマグネットごと床に落ちたけど、面倒くさいから拾わない。
(あれ?……まだ持ってた)
そう言えば目が覚める瞬間まで持ってたボードマーカー、まだ握ってたの思い出した。
結局何に使ったのか思い出せないまま、のろのろとマーカーをホワイトボードに戻した。
二日酔いの時の記憶はたいがい、すぐには出てこない。しばらく時間がたたないとハッキリしないのは、長年の経験でわかってる。
某国民的RPGの「思い出す機能」ほどポンコツではないものの、アルコールでかなりデータが飛んでしまっているアタシの記憶のリロードを試してみる。
アタシ、速水ミズキ。
36歳、会社員。
趣味、ゲーム。(他にすることがないだけ)
好きなもの、酒類全般。
嫌いなもの、生牡蠣。(生臭くてムリ)
身長、159センチ。
体重は50キロ台ちょい前半。(のはず)
限りなくBに近いCカップは、ここ数年でたるんできたウエストのせいで全然目立たない。(良く言えば幼児体形)
ヒップは84センチ。参考数値。(最後に計ったのは3年前のお正月)
約6年前からシングルマザー。
バツイチ。
独身。
離婚経験者。
……。
…。
……いくら言い直してもダンナいない歴は5年と10ヶ月という現実は不動のセンターポジション。
元ダンナから慰謝料代わりにもらった、というよりただ単に相手のほうが離婚届けだけ置いて黙って出ていった中古マンションに、ひとりムスメとふたり暮らし中。
ゆうべ予約していたホテルディナーをドタキャンしやがった(元)カレのLINEをブロックした直後に床に叩きつけて、液晶がクモの巣模様にデコられたアタシのスマホによると、いまは朝の10時と3分。
どうやらアタシの彼氏いない歴は、あと約2分でようやく12時間を超過する模様。
安月給と実家の親からのあくまで「マゴヘのおこづかい」という名の仕送りをどうにかやりくりして生活するのがやっと。
貯金は残高ほぼナシ。
そんな暮らしのなかでの唯一の癒し、ッつーか子育てと仕事でクタクタのシングルママの日々の苦労が報われる瞬間が、毎月2回程度のカレシとのデートだったんだケド。
続編&次回作の予定も無いまま、昨夜めでたく最終回。つーかseason1途中で打ち切り。
また、報われない日々が繰り返し、続くだけ。
やや自虐的なアタシのスペックの確認と、口内に残留したゲロの残り香にセルフサービスで打ちのめされていたとき。
ぐおぉぉぉ、
ぐぅぅぅぅ。
「……ッ!?」
ムスメがアタシのIDで勝手に注文して昨日届いたという通販の空き箱と、たたみ忘れて床に置いたままだった洗濯物の山の向こうから、けものじみたうなり声が響いてくる。