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気配
【スポーツ 官能小説】

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気配-9

「いや、いいぜ、座ってて」
「そんなのできません」
 カップを取り出して、「……でも、恵美さんが好きって言ってたケーキ買ってきたんだけどな……。戻られたら、また持ってきます。もったいないんで、杉島さん食べて下さいね」
「持ってき直さなくていい。だいたい一人でそんなに食えるかよ。お前食ってけ」
 そういうトコだぜ?
 新人だから仕方がない。そう思えばデリカシーのない発言も、仄笑みで見逃せる。恵美の祖母の不調といい、ケーキの存在といい、凶事の兆だと思うところが、妻にいつも小馬鹿にされる心配性なんだ、と努めて胸を軽くした。
「い、いえ、私は、けっこうです」
「何だよ、自分で持ってきておいて」
「あの、す、杉島さんにお願いがあって」
 ポットをメーカーから外しつつ愛衣を向いた。祈るようにお腹の前で指を組んでじっと見つめている。
「……サービスは一回だけだって言ったはずだ」
 勝たせてもらって調子に乗ったのかと、廉直で埋めることができそうになっていた心に一滴の濁りが滲んだ。
「いいえっ、違います。その、えっと、私、木馬を買えないので、使わせていただきたくて。ご、ご迷惑かもしれませんが」
 ダメだな、すぐに悪いほうに考えようとする。すぐに自省して、
「そんなビビらなくても貸してやるよ。ケーキなんか持ってこなくても、タダで」
 と言った。
 すみません、ありがとうございます、お出かけされるのなら、留守番します。
 ゆっくり使えばいいのに、愛衣は相変わらずのバネ仕掛けの礼をして、トートバッグを背負って早速トレーニングルームへと入っていった。
「なんだ、あいつ」
 その挙動が可笑しくて、二人分のコーヒーも俺一人で飲むのかよ、とソファに腰掛け、ノンシュガーで啜った。しばらくガサゴソと聞こえたあと、木馬が軋む音が聞こえ始めた。テレビを眺めて寛いでいたが、長短のリズムを刻む揺れ音が、ブラックコーヒーを飲んでいるのに瞼を重くしてくる……。
 フッと寒々しい落下感を感じて目を覚ました。背汗で張り付くTシャツの肌心地が不快だった。部屋はもう薄暗く、テレビの画面が壁と天井にカクカクとした光を映していた。
「……嘘だろ」
 隣室から軋みがまだ聞こえてきていた。五時間近く経っている。征嗣がトレーニングルームを開くと、フィットネスウェアに着替えた愛衣が木馬を追っていた。
 ボブと言えるまでには伸びていないおかっぱ髪をこめかみに乱し、赤べこのように揺れる首を見つめ、決して駆けはしない木馬を何とか前に進めようと、憑かれたかのように押していた。征嗣には気づいていない。真横から見る愛衣の身体は、木馬は前後上下に揺れるのに、背のラインはまったく高さが変わらなかった。黒いクオーターレギンスに包まれた脚が滑らかに衝撃を殺している。Yバックのタンクトップから覗く肩甲骨の隆起が、首につながる腕をピストンロッドのように規則的に伸縮させていた。
 なんだ、これは。征嗣はたじろいだ。あの苦痛の日々、鏡の中に見た木馬を追う自分は、いかに無様だったか。
 居眠り中に夢を見た。長い直線。勝ったと思った瞬間に足元に穴が空いて、馬もろとも転落し、見上げると、脳天を後続が駆けていき、ふっつりと出口が閉ざされて漆黒の闇になる。再びゲートが開く。今度は必ず勝つと意気込むのだが、逃げようが、追い込もうが、必ず陥穽が自分を呑み込むのだ。何度やっても同じだった。
 脳裏に、最後の直線を追っている自分が映った。ベテラン騎手でありながら、何とも不細工な追い方だった。周囲の騎手は、皆美しく追っていた。天から一本の糸で吊られているかのように、一切ブレずに襲歩の邪魔をしない。自分の馬だけが、背の重荷に苦しんでいる。
 目の前の新人は、天賦の肢体で易々と理想の騎乗フォームを体現していた。
 傍まで近づいても、愛衣は追い続けていた。汗に溶け出した若い女の匂いを放散させて、肢体が艶めかしくもなめらかに畝っていた。
 征嗣は愛衣の股間へ手を入れると、下腹を高く上げさせた。
「ひっ……」
 驚いた愛衣が首押しを緩めようとすると、
「追え」
 と、もう一方の手は前に差し入れ、バストごと身体を持ち上げた。愛衣の身体は刹那凝ったが、膝の角度を調節して征嗣の手への加重を逃すと、同じリズムで追い続けた。浮かんでいるかのような愛衣のバストもヒップも、瑞々しく手のひらを押し返してきていた。愛衣が体重をかけていないということは、この手にかかるのは純粋に彼女の身の張りであり、スレンダーだと思わされていたのに、意外にも女らしい部分は蠱惑の肉感を伝えてきた。
「重心はもう少し後ろだ」


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