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気配
【スポーツ 官能小説】

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気配-7

 体勢を変えず、何も言わないでいると、小柴の声が聞こえてきた。
「そうだよ」
「代わりに俺が乗っていい?」
 身を起こして胸ぐらを掴んだが、小柴はポケットに手を突っ込んだまま平然としていた。
「いやだ。俺が乗る」
「ヒドいな。秘訣を聞こうとしてんのに、見返りは無しとか」
「ならいいよ」
 出直そう。征嗣は小柴を解放して踵を返した。
「……子供ん時からさ、ゲロ吐きそうなほど親父にレース映像見せられたんだよね。アニメもバラエティも見せてもらえないんだ。テレビついてる時は、ずーっと馬が走ってる」
 振り返ると、小柴は胸ぐらを掴まれていた時の立ち姿のまま、こちらを見ずに厩舎の方へ顔を向けていた。
「ソノアポヤンドのレース見ただけじゃダメだ。他のメンバーのこれまでのレースはどうだったくらいも、普通見るよね。他の乗り役だって……、勝とう、って人はみんな見てんだから」
 頬が熱を帯びた。「普通」と言っている。
「かといって、メンバー同じ、乗り役同じなんてありえないでしょ? ……何となくさ、あっ、ってなるんだよね」
「あっ、て?」
「同じコースの同じ距離とか、乗り馬と似た走りをする馬とか、似た展開とか。あったなあ、ってね」
 小柴は肩をすくめ、「あの時誰が、どんな風にして勝ったんだっけな、って思う……っていうか閃めく。親父が言うにはさ、生きてる上で当たり前にしろ、って。心臓が動く、息してる、馬が走ってる、はイコール。頭じゃなく身体に染み込ませろ、所詮ジョッキーなんて勉強できないバカばっかりなんだから、だーってさ。頭おかしいぜ」
 自分で言って一人で笑っていた。暫く、攣きつけるまで笑い続けた小柴は、
「ふふっ、くっ……、あーあ……、親父もそこまでしなきゃ勝てなかったんだよね。インスピレーションなんて、まっさらから生まれるわけじゃないって、乗るようんなって思う。……これが小柴家流の必勝法。役に立たないでしょ?」
 と言った。
 征嗣は恥ずかしくなった。小柴は物心ついた時から、そんな生活を続けてきているのだ。おそらくは今も、いや、これまで以上に。そんなモチベーションがどこから湧いてくるのだろう? 答えは明らかだった。
「みんな凡人だよ。……いや俺は、因数分解もできなし、年号も英単語もひとっつも憶えてないから、それ以下かな。馬に乗ることしかできないし、馬に乗るしかない」
「ありがとう」
 だから自虐に走る小柴にも、素直に礼を言えた。
 勝てない鬱屈を紛らわそうと声をかけられて、正式に付き合ってもいなかったのに、何故小柴との話を知っているのだろう? ――きっと恵美は、まさにその時に知ったのではない。付き合っていくうち、結婚して暮らしていくうち、あの時「小柴と会った」と言った内容が理解できていったのかもしれない。
「征嗣クン、何とかできないの?」
 欠陥がある天才が泣いていた。ずっと支え、見守ってくれている年上女房が、初めて競馬に口を出している。
「今週も五鞍乗るんだろ?」
「……はい」
 すまんと食事の途中で立つ無礼を謝り、トレーニングルームを顎で指すと、恵美は頑張ってねと明るく愛衣を送り出した。
「これは杉島流の必勝法だ。笑うんじゃねえぞ?」
 鞭を取り、二度、三度と順手逆手でクルリと回すと、愛衣へと投げる。
「……小柴みたいに日本競馬の全レースのビデオを見ようってんじゃ、到底集められねえし、てんで間に合わねえ。……乗れ」
 騎乗トレーニング用の木馬を指すと、スリッパを脱ぎ、裸足でおずおずと跨った。
「有り金はたいて、借金して、コイツを買った。もっと安モンだったけどな。そんで、頭の中で何度も何度も馬を走らせて追った。一レース終わっても展開変えてもう一レース。コース変えてもう一レースってな」
「……イメージ、トレーニングですか?」
「ちょっと違うな。頭の中で何千何万レースも乗った。気がついたら、昼から夜中まで飲まず食わずで追ってる日もあった。恵美と会う約束も忘れてよ。そしたら……、突然レースで頭の中で走らせてた景色が浮かんでくるようになった。イメージトレーニングは思い込み、みたいなもんだろ? 俺は違った。コレ知ってるぞ、って思った」
「……」
「お前がそうなるかどうかは知らねえから、特別サービスで一回だけ教えてやる。土曜の第四レースだ。追え」
 はい、と一旦、前を向いた愛衣は、
「なんか……」
「……あ?」
「なんか、……カワイイ方法ですね」
 まだ泣き痕は鮮やかな顔を綻ばせた。
「いいから追えっ。さっきまで泣いてやがったくせに」
 




「よう」
 サウナに入ると、小柴がいた。
「なんだ着いてたのかよ。こっそり入ってんじゃねえよ」


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