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ヴィーナスの思惑
【SM 官能小説】

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ヴィーナスの思惑-17

「あの方はお気づきになりませんでしたが、以前の私はSMクラブで彼女の客でした。彼女も
まだ若く、おそらく鞭を初めて手にした頃ではなかったでしょうか。私も彼女にヴィーナスを
夢見た男です。彼女が手にした鞭は私に欲望を生んだ。そして欲望は苦痛によってかき消され
た。苦痛は、麻薬のような甘美な快楽へと欲望を変えた。幻覚のような苦痛の呪縛といってい
いものなのかもしれません。そして、私は捨てられた…」

そう言いながら、バーテンダーの男は、繊細な指で蝶ネクタイを整える。

「あの方に捨てられた男はほかにもいるかもしれません。なぜなら、彼女はヴィーナスの夢を
男たちに与える女性だからです。ヴィーナスに対する夢は、愛でもあり苦痛でもある。愛は
苦痛の中から生まれるものです。そしてヴィーナスに捨てられた者は、愛の現実、いや、ほん
とうの自分の現実と愛に対する絶望のあいだをさまようことになるのです」



店を出たミチオは、藍色の雨が降る夜道をあてもなく歩き続けた。あのとき、あの人を求め、
探し続けたように。ひとりきりでいると、あの人がミチオに与えた痛みの感触が鮮やかに甦り、
封じられている感情がゆるやかに溶け始めそうだった。

ミチオが想い続けたあの人はアカネさんだった。そして、彼女は燿華女王様…。

あのとき、カクテルバーを出ていく彼女の物憂い背中の翳りに、ミチオはこの雨と同じ藍色の
切ない光を感じた。ミチオの遠い記憶は今の時間となり、心とからだ全体に浮遊していた脆さ
がわずかに固まり始め、混沌と漂い始める。でも、混沌としたものは調和を生もうとし、調和
は透明な旋律を刻みながらはっきりと彼女を欲望しているような気がした。


…あなたが、ヴィーナスの鞭にどんな夢を見ようとなされているのかわかりません。欲望した
鞭は苦痛を生み、苦痛は愛を生み、愛は絶望を生みます。彼女に捨てられた私も一度は死を
決意しました。

でも絶望は終焉ではない。絶望の果て、そこには生きていくうえでとても美しい、ほんとうの
苦痛があると思います。そう、深く生きることにつながる苦痛です。美しい苦痛について自問
を繰り返すことこそ、至福と呼べるものかもしれません…

白髪のバーテンダーの男が、店をあとにしようとしたミチオに言った最後の言葉が耳鳴りのよ
うに残っていた。

ミチオはアカネさんが最近ネットに投稿した小説『ヴィーナスの思惑』という表題の小説を、
最近、読み終えばかりだった。彼女は気がついているに違いなかった…。彼女が書いた小説は、
まだ終わってはいないことを。なぜならミチオが調教の終焉を、今もまだ遠い記憶の底から呼
び戻してはいないことを知っているから…。



『 …おまえは海の湧き出るところまで行き着き、深淵の底を行き巡ったことがあるか。
 死の門がお前に姿を見せ、死の闇の門を見たことがあるか。
 おまえはまた、大地の広がりを隅々まで調べたことがあるか。

 そのすべてを知っているなら言ってみよ…』( 旧約聖書 ヨブ記 三十八章より)


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