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報われない一日
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報われない一日-5

 離れた公園から炎に包まれる隣家を見ていた。僕の家には延焼をくい止めようと水がかけられ続けているが、その勢いさえへし曲げるほどの強風だ。燃えうつるのは時間の問題だろう。
 野次馬が公園の半分ほども埋め尽くし、なおもあちこちから走ってくる。その顔々はまるで喜び勇んでいるように見える。
(対岸の火事……)
いや、他人の不幸は酒の肴にもなる。
「あの大きい家、がんばってるな。、まだ燃えないよ」
(かなり防火材を使っている……)
しかし、そんなことは結局あまり意味がないように思えた。

 僕は妙な心境で立ち尽くしていた。
(奈津子とどこで会うことにしようか……その前に姫岡だ……)
自分の家が燃えようとしているのに、別のことを考えていた。
(僕の力ではどうにもならないことだ……)
なるようになり、なったらあとのことはその時に思慮するしかない。

 僕は姫岡に電話して状況を伝えた。待ち合わせの店の変更と時間が遅れる可能性を言い、
「待たせることになるかもしれないが……」
姫岡は慌てた感じで声を強くした。
『何を言ってるんだ。そんな大変な時に。今日じゃなくても間に合うじゃないか』
「いや、決めていたことだ。何とか出来あがったし。こちらの方は妻に来てもらうから心配はない。うちが火元じゃないからね」
『何だか騒がしいのはそれか?』
「ああ。いま、うちに燃え移ったようだ」
『おい……』
姫岡は呆れていたが、
「とにかく、あとで会おう」
僕は姫岡の返事を聞かずに切った。
 平然としているようで気が急いていた。気が付くと膝が震えていた。
奈津子にも掛けて、ちょっと急用ができたからあとで時間を連絡すると伝えた。
『わかった、待ってる』
少しとろい女だが、そこがたまらなく可愛い。言いなりになり、中途半端な知性を見せない従順な女だ。こういう女が僕には必要なのだ。

 さすがに消化の真っ最中に立ち去るわけにもいかず、消防士が家の中に入るのを確認して責任者を呼んでもらった。
 身分を名乗り、事情を説明してすぐに妻が来ることを告げた。
「これからお出かけに?」
司令と呼ばれた責任者は汗びっしょりの顔で少し目を剥いた。
「お宅が燃えたんですよ」
「わかってます。大事な仕事があるんです。どうせもう薄暗い。細かな現場検証は明日でしょう?」
男はむっとした表情を見せ、携帯の番号を控えたいと言ってきた。
「この様子ではどうですかね。半焼になるのか、全焼か」
「さあ、それはお答え出来かねます」
「保険にかかわってくるからね」
男は携帯の番号を書きながら僕の顔を見なかった。

 僕は背を向けて立ち去り、振り向かなかった。無残なものは見たくなかった。
(家なんか、また建ててやる……)
煙草に火をつけて吸うと、家が焼ける臭いがして投げ捨てた。


「大変だったな」
椅子に掛けた姫岡が身を乗り出すようにして言った。僕から原稿を受け取り、
「それで、全焼か?」
「まあ、多少焼け残ったって水をかぶったし、どうしようもないな。ガレージは道路寄りだったから車は助かった」
僕は重い疲れを熱いコーヒーと一緒に飲みこんだ。
「そうか……」

 仕事が済んで、しかもプリントもメモリーも完了したあとでよかった。そんなことを考えるのは失った代償がとてつもないものだと実感してきたからだった。膨大な蔵書、子供の頃からの思い出の品もあった。それに現金。へそくりとして1000千万は隠してあった。もう影も形もないだろう。

 こんなはずじゃなかった。もっとテンポよく、溌剌と、颯爽と、僕は自分の仕事の成果を楽しんでいるはずだった。……
(やめよう……こうして過ぎ去ったことをあれこれ考えるのは自分らしくない……)

 サロンのソファに身を沈め、僕は姫岡を見つめている。彼は一心に『僕の仕事』に目を通している。
 いつも通りである。僕は仕事の出来栄えについて彼の批評を待っている。煙草を吸いながら文字を追う彼の目を見ているのが楽しみなのだ。
(作品に引き込まれている……)
小さな快感が湧いてくる。この時間を味わいたくて僕と姫岡のこうしたやり取りは続いていた。そうでなければわざわざ彼との時間を作ったりはしない。僕は原稿を渡し、彼は会社にそれを持っていく。それだけのことで済む。

 姫岡の褒め言葉が欲しくて僕は彼と会う。そしてその場で読んでもらうのである。
その言葉ときたら、満面に驚きを漲らせた表情はかなり芝居がかってはいるが、完成までの苦労が吹き飛び、なおかつ次作への意欲にまでつながる、滋養強壮、なおかつ精力剤といってもいい。

 だが今日はそんな快感もまるでない。こんな疲れた日はかつてない。僕は忘れたはずの報われない一日を噛みしめていた。

「さすがだよ」
原稿を読み終わった姫岡が息を弾ませたように言った。姫岡とは同い年、長年の付き合いで2人であう時は互いの立場を同等にしている。
「何も言うことはない。完璧だ。とにかく、コイツはすごい。今の作家でこれだけの切り口を描けるのは他にいないだろう」
原稿に口をつけて笑った。
 思った通りの賞賛だ。が、僕は苦笑のような笑みを返しただけだった。間を置いて、
「ありがとう……」
疲れていた。
 携帯が鳴って僕は席を外した。奈津子からだった。

「おうちが火事よ!」
耳を突き刺す声だ。
「何を言ってるんだ」
「だから先生のおうち、火事で燃えちゃってるの」
「そんなこと、知っている」
「ええ?知ってるの?」
(こいつはいったい何をしているんだ)
話を聞いて唖然とした。家まで行ったという。なぜ?電話を待っていろと言ったはずだ。
「電話あったらすぐ行って驚かそうと思ったんだもん」
 それだけならいいが、どんでもないことをしてくれた。……


  


 


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