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エスが続く
【OL/お姉さん 官能小説】

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2. Sentimental Journey -10

「もしもし。――何時ごろ終わりそうですか?」
 開口一番、敬語で来られて、せっかく可愛い声で電話をしようとしていたのに悦子はムッとして、
「もう終わった」
 とだけ言った。
「えっ、迎えに行こうと思ってたのに」
「いい。どこにいんの?」
「なんばです」
「じゃ、なんば駅まで戻る。着いたら連絡する」
 そう言って切った。
 またやっちゃった。可愛い声の練習をせずに電話したこと以上の後悔に苛まれながら、悦子はニュートラム駅へを足を向けた。これまで童貞を卒業させてくれた相手として恭しく見てきたのに遂にヒステリーな年増女の本性を垣間見た、と今頃平松は自分に幻滅しているかもしれない。女と付き合ったことがないのだから、彼女の機微には鈍いに違いない。そして自分の方が年上だし、上司である。折り合ってやるのは自分の方かもしれない。
 平松の心が離れていく事への不安を、なるべく矜持に障りがないように考えながら、乗り換えた四つ橋線はなんばに着いた。大方の会社が終業時間を迎えているせいで地下街は人通りが多かった。もう仕事は終わったのだ。平松にそう言ってやろう。そうしたら大阪くんだりまで来ても続けている敬語も止めてくれるだろう。
「もしもし、ついたけど」
 角を取った声音で電話をかけた。「どこに行けばいい?」
「えっと、……なんばウォークって書いてあります」
「それってこのなっがい地下街の名前でしょ? 何か目印教えてよ」
「クジラが沈んでます」
「クジラ?」
「クジラです」
 何かそれっぽいモノがあるのだろう。それ以上の説明を求めず、悦子は一旦電話を切って地下街を歩いて行った。笑顔笑顔。そう言い聞かせながら、ヒステリックな態度を取ってしまい惚れ気を薄めさせてしまっているだろう平松に対する表情を、まだ会う随分手前から練習しながら歩いた。途中で地図を見つける。クジラパークと書かれていた。これか。やがて遠目から硬質な床からクジラの頭と尾が突き出ているのが見えた。いや、曲がりすぎだろ。その前でパーカー姿の丸い男。リュックはやめさせればよかったと思いながら近づいていった。
「本当に……、クジラだね」
 悦子を見つけて、おつかれさまです、と言った平松に頷いたあと、側のオブジェを見上げた。「しっぽがここで、頭がこんな位置だったら、中で骨折れてるよ、きっと」
 おつかれさまですなどという距離を置いた挨拶をされてまたムッとなるのが嫌で、努めて和ませようとそんなことを言った。
「いや、二匹いるんじゃないですか? これ」
「あ、そういうこと。なんか胴体真っ二つのマジックのタネみたいだね」
 ちゃんと笑顔になってるかな、と平松の方を見れずに、ピクリとも動かないから面白みなどあるはずもない、生命感のないクジラの瞳を見ていた。
「展覧会、どうでした?」
「うん、行ってよかったと思う。色んな人と知り合いになれたし、情報も集まった」
「それはよかったですね」
 いつまで仕事の話をさせるつもりだろう。もう終わったと告げて敬語をやめさせようとしたら、
「じゃ、もう出張の用件は終わりですか?」
 ちょうど逆に訊かれた。悦子はお腹の辺りに両肘を持った姿勢のままクジラから彼氏の方へ身を向けた。
「うん、終わり。あとは帰るだけ」
「じゃ、仕事の時間は終わりってことだね」
 思っていた通りに敬語をやめさせることに成功した。しかしそう言った平松が手を伸ばし、組んでいた悦子の片手に手をかけた。
「な、なに?」
 思いがけない行動に驚いて、ヒールを鳴らして半歩下がった悦子を前に引き寄せるようにして、
「じゃ、行こう」
 と言って歩き始めた。手を引かれる。歩き始めながら、握っていた拳を解かれてそこへ手のひらを合わせてきた。指どうしを組んでくる。
「わ、ちょ、ちょっと」
 恋人繋ぎというやつだ。男と手を繋いで歩いたことなどない。何をそんなに急いでいるのかせわしなく歩いて行く周囲の関西人とすれ違い、追い越されながら、二人はゆっくりとした歩調で歩いた。
「み、見てるよ、みんな」
「見てないよ。……それに、知ってる人なんかいないから見られてもいいじゃん」
 いや、すれ違うときにチラ見されてるよ。しかし平松の言うとおり、この街で悦子を知っている人間と遭遇することはない。ヒールのせいですぐ横を歩く平松よりも目線が高くなっている。平松と付き合い始めてからこうして街を歩くのは初めてだ。
「手、冷たいね。寒かった?」
 平松の親指が悦子の親指の付け根をさすってくる。そんな微細なタッチででも、心がギスギスしていただけに胸が甘く疼く振れ幅が大きくて、もし横浜でそんなことをされたら周囲を気にして手を振りほどいていただろうに、悦子は平松と手を組みながら恭順に側を歩いていた。悦子の煩悶をよそに新幹線の中から上司と部下の隔てを置いていた平松を責めてやる気も疾々忘れた。


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