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居候
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居候-8

(7)


 村瀬が石渡の部屋にいることには、すでに(あるいはそれは最初から)理由がなくなっていた。それでもなおかつそこに憑かれたようにしがみついている彼の毎日は尋常ではなかった。
(わかっている……)
しかし、村瀬の思考はいつでも煩悶の中で彷徨うだけだった。
 共同生活から離れて二人の接点がなくなったら、それは石渡との決別であり、見捨てられ、きっと自分は蔑まれる存在となって記憶からも廃棄される。……

 なぜそんな暗い淵に沈み込むことばかりに想いが及ぶのかと自問しながら、どうしても背に受ける痛みの想像から逃れることができなかった。困ったことに、部屋に居続けることは村瀬のそれらの想いと逆効果になるという事実上の懸念を彼は知っていた。知っていながらなすすべもなくうなだれていた。
 二人が以前のような関係に戻るにはどうしたらいいのか。いろいろ考えてみても何も浮かばない。浮かぶはずもない。石渡との関係はもはや修復できないほど方々に亀裂が入っている。
(そもそも、どんな関係だったのだろう?……俺の存在をどう思っていたのだろう……)
歯牙にもかけていなかったのかもしれない。それなのにひたすらしがみつく自分に気の抜けた笑いが込み上げてきた。


 ある日のことだった。珍しく石渡が出かけずにいた。朝からじっとテレビの画面を見つめて煙草を吸っていた。話しかけると返事はするものの、応えになっておらず会話とはいえないやり取りだった。その顔は何かを念じているように見えた。

 沈殿した空気に息苦しくなり、村瀬は局留めになっているはずの故郷からの書留を取りに行くと言って部屋を出た。理由を告げても石渡は生返事をしただけで顔を向けなかった。

 穏やかな小春日和の日であった。風はほとんどない。コートもいらないほどの温かさだったが、紅葉した木々の葉はおおかた散り、本格的な冬の訪れが間近なことを告げている。
(季節感を忘れていた……)
道端の樹木を眺め、青空を見上げることなど長いことなかったように思った。
 ふと、このままあの部屋に戻らなければ平穏に過ごせるだろうかと考え、考えたとたん、吐き気のような重苦しいものが腹部を圧迫した。

 駅に着いて切符を買おうとして印鑑を忘れたことに気がついた。
(迂闊だった……)
バッグに入れてある。
(戻るか……)
それしかない。だが、石渡はどんな顔をするだろう。きっと返事すらしないかもしれない。そしてうんざりした顔で腹の中で叫ぶのだ。
『戻ってくるんじゃねえよ!』

 どうしたものかと迷った。来た道を歩きながら石渡のいる沈黙の部屋が頭をよぎる。足をとめて自分の部屋を思い浮かべ、そこは寒々とした殺風景な部屋であった。足取りは重かった。


 間が悪いということはどうしようもないもので、村瀬がドアを開けると石渡の尻が目に飛び込んできた。
(何をしてるんだろう)
一瞬、思い、はっと気づいたのと同時に女の叫びが顔を叩いた。赤く火照った石渡が振り向いた。白い脚が彼を挟んでいた。村瀬は咄嗟に、
「ごめん……」
言葉が詰まり、ドアを閉めた。

 走るように外へ出ると足元の空中感で体がふらふらした。
女がいることはすぐにでもわかりそうなものなのに、なんだってもたもたしていたのだろう。何よりもノックをしなかったのは一番まずい。自分の部屋ではないのだから。……
 石渡に何と言おうか。
村瀬は足をひきずるように歩いた。もうあの部屋には戻ることはできないだろう。……
「もう終わりだ……」
弁解の余地はないと覚悟を決めて呟いた。心が押しつぶされそうな重圧があった。

 喫茶店の椅子に座ると拡がる不安から貧乏ゆすりが起こった。
 取り返しのつかない決定的な出来事!
(間違いなく追い出される……)
村瀬はその宣言をする石渡の顔を想像した。嘆息と味気ない煙草の煙が入り混じって漂った。

 頭にさっきの光景が映し出された。
(ひょっとすると……)
石渡に抱かれていた女は管理人ではなかったろうか。目に映じた顔を思い描いたが確信はない。だが似ていたような気がする。
(そんなことは、どうでもいい……)
 村瀬は暗澹たる想いに包まれていった。

 何本目かの煙草を吸っていると石渡が外から窺い、村瀬を見つけると扉を開けた。村瀬は目を伏せて身を硬くした。
 石渡はゆっくりと向いの席に座り、大きく溜息をついてから煙草に火をつけた。ウエイトレスがくるとぞんざいな口ぶりで、
「モカ」と告げた。

(怒っている)
当然だろう。村瀬は下を向いたまま黙っていた。
 上目使いに顔を上げると視線が合った。石渡はそれを軽く逸らせ、窓の方を見やった。
「悪かった……」
絞るようにやっとそれだけ言った。石渡は間を置いてから、
「ああ……」
やがて運ばれてきたコーヒーに口をつけた後、
「女を抱いたあとのコーヒーは美味い……」
カップを見つめながら口元が弛んでいるように見えた。意外な言葉の柔らかさに村瀬は少しほっとした。
「本当に、悪かった」
溜息が煙とともに村瀬を包んだ。
「今度から、ノックくらいしてくれよな。いいところだったからな」
「……気をつけるよ……」
村瀬は精一杯の笑顔を作ってみたが、歪んだようなぎこちなさを拭うことは出来なかった。


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