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最中の月はいつ出やる
【歴史物 官能小説】

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第一章-2

 浮世最後の菓子だというのに甘さが足りなかった。旨さが欠けていた。巻煎餅を食べるのは半年ぶりだが、以前はこんな味ではなかったような……。甘さが仄かなのは分かっていたが、こんなに不味くはなかったはず。これでは未練が残って成仏出来ぬ。竹村伊勢にねじ込もうと腰を浮かしかけたが、文句をつけたところで埒があくはずもない。かといって、わざわざ廓外の菓子屋へ人をやり、別な甘味を取り寄せるのも仰々しい。月汐はしばらく天井を睨んでいたが、

「はなみ。これ、はなみは居らぬか」

煎餅を袂に隠して禿の名を呼ぶ。ややあって、

「あいいぃ」

所作もまだぎこちなく障子が開けられた。芥子坊主の少ない頭髪に小振りの簪が揺れている。年格好は似ているが、相方のゆきみよりも頬が幾分ふっくらとしているのがはなみだった。

「はなみや、揚屋町の生薬屋まで行っておくれ」

「あい、花魁。……奇応丸でも切れんしたか?」

「いいや。砂糖を購ってまいれ」

「黒でござりんすか?」

「白砂糖を二十匁ほどじゃ」

銀の小粒を手渡すと、はなみは自分も相伴にあずかれると思ったか勇んで出かけていった。

 昔、砂糖はすべて舶来品で非常に貴重なものであったが、十一代将軍、家斉治世の頃になると国内でも生産されるようになり価格も下がってきた。しかし、白砂糖一斤(約六百グラム)の代金で掛け蕎麦が四十杯近くも食べられたというのだから、まだまだ高価なものだった。

 月汐は巻煎餅を一つ取り上げ、筒状の中を覗いてみた。形だけが面白く、味は今ひとつ。人に例えれば実(じつ)の無い存在だった。

「まるで卯吉の頓ちき野郎みたようだ」

白い指の間で巻煎餅が砕かれた。

 卯吉とは月汐の情夫(いろ)だった男だ。江戸随一と言われる太物問屋の手代をしている。客に惚れることなど有りえぬという花魁の矜持をすり抜けて月汐の心に忍び込んだ卯吉は、今考えてみると優男の風貌に似合わず、したたか者だった。月汐が卯吉に夢中になったとみるや、金を持たずに登楼し、月汐の身揚り(客の代わりに遊女が揚げ代を払うこと)でばかり遊んでいた。そのくせ、自分に婿入り話が持ち上がると、吉原へ向ける足をぴたりと止めてしまった。

「なつかしく 卯さまを忍べば 心乱れ」

などと綴った天紅の文(ふみ)を月汐が送りつけても、奉公先の娘を娶ることを条件に二番番頭の口を用意された卯吉は、返事の便りすら寄こさなかった。
 待てど暮らせど音沙汰のない卯吉。お月さんが三度満ち欠けを繰り返してもなしのつぶて。心が千々に乱れた月汐は見世からふらふらと抜けだし、気がつくと火の見櫓のはしごが目の前にあった。それに手を掛けスルスルと登る。てっぺんに立つと、このまま身投げして果てようと思い至った。が、その前に好物をたらふく食べてからにしようと翻意したため、今こうして息災でいるのだ。

 やがて、はなみが白砂糖を買って戻ってきた。小さな紙袋と釣銭を受け取ると、

「小皿を持ってきな。褒美をやるよ」

月汐は砂糖を少々はなみに分け与えた。彼女はさっそくひと舐めし、その甘さに恍惚となっていた。これから階下の台所の奥にでも潜り込み、誰にも内緒で舐め尽くすつもりだろう。

 さて、一人になった月汐は、茶碗にあらためて煮花を注ぐと、それを飲むのではなく、巻煎餅をつまんで軽く浸した。そうしてから砂糖の入った袋に入れると煎餅に白い小粒が纏わり付いた。
 口に入れる。鮮烈な甘さが広がった。快味が舌に染み込んだ。

「ああ……、これでこそ菓子というもの」

月汐は立て続けに砂糖をまぶした巻煎餅を頬張った。
 なかば自作の菓子を食べ終えると、煎餅といえどもおよそ二十本、さすがに腹がくちくなり、月汐はだらしなくその場へ横になった。

「湯を仕舞いまーす。湯を仕舞いまーす」

廊下を若い者が触れて歩いている。もうそろそろ昼見世の客が上がってくる時分だが、昼三(ちゅうさん)〔揚げ代が三分(約五万円)かかる高級遊女〕の月汐は、階下の役所(張見世を行う部屋)で客に姿を見せつけ媚を売らなくてもよいので、のんびりしたものである。畳に身を横たえた月汐は瞼が重くなった……。

 物音で目を開けると振袖新造の初音と女髪結いのお春が並んで座っていた。

「お目覚めでござりいすか。お春さんがようやく参りいした」

初音に引き起こされ、手鏡を立てかけた前に座らされると、

「今日は横兵庫でよござんすか。それとも、あっさりと島田に結うのもたまにはいいものでござんすよ」

地声の大きいお春の問いかけが耳元で響いた。軽く顔をしかめて返事をすると、

「あい、島田でござりますね」

一層大きな声とともに後ろの毛髪をギュッと引っ張られた。

 起き抜けのぼんやりとした気分のまま髪を梳(くしけず)られていると、小さなおくびが出た。そうして、月汐は気がついた。心のしこりがなくなっていることに。卯吉のせいで自害しようとしたことなど嘘のような心地だった。ここ数日の煩悶は何だったのだろう。あの、どんよりと思い詰めた気持ちは……。我知らず笑いが込み上げてきた。

「花魁、何かいいことでもありましたかえ?」

髷をこしらえながらお春もつられて笑顔になる。

「なあに、近頃ちっと物思いに沈んでいたでありんすが、もやもやは、おくびとともに消えてしまいいした」

「そりゃあよござんしたね。心の憂さは髪の艶をなくすもと。そんなのは早いとこ吐き出しちまうのが一番。でも、おくびでよかった。おならだったら大変だ」

けたたましく笑い合う二人。そばで月汐のために白粉(おしろい)を用意していた初音も思わず吹き出し、白い粉を軽く舞いあげた。


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