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雨の歌
【女性向け 官能小説】

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雨の歌-2



 良平は夜の賑やかな通りをリサと並んで歩いていた。
「リサさん」
「はい?」リサは良平に顔を向けて微笑んだ。
 良平は少し赤くなって、ネクタイを締め直した。
「どうなさったの?」
「え? い、いや……。貴女の笑顔は相変わらず可愛いな、って……」
「嬉しい……」リサは良平の腕にそっと自分の腕を巻き付けた。

 二人は細い脇道に折れた。薄暗いその通りに入った時、良平はリサの腋に手を回し、自分の身体に押しつけた。
「良平さん……」
 良平は慌てて腕の力を緩めた。「ご、ごめんなさい」
「え? いえ……、私、嫌がってるわけじゃないんです」
「そ、そうですか……」良平は頭を掻いた。

 『ステーキハウス J.B.』という店に入った二人は、まだ火の入っていない暖炉の脇のテーブルに向かい合って座った。ほのかに清涼感のある灰の匂いがした。
 その店は、ほの暗く、しかし暖かみのある琥珀色の明かりが、テーブルの上と客が座るシートの上にスポットライトのように投げかけられている落ち着いた雰囲気だった。

「素敵なお店……」リサが小さな声で言った。「良平さん、よく利用されるの?」
「とっておきの場合に限って」良平は笑った。
 ロマンスグレイの頭髪をきちんと整えた初老のホールスタッフが、ゴブレットを運んできてテーブルに置き、慣れた手つきでゆっくりとピッチャーから水を注いだ後、革の厚い表紙のメニューをリサと良平それぞれに渡した。
「お飲み物がお決まりになりましたらお呼び下さい」
 バスバリトンの甘い声でそう言った彼は、品の良い笑みを浮かべて二人を見た後、軽く会釈をしてテーブルを離れた。

「普通の店じゃないみたい……」
「どうして?」
「ホールの人の品格が高い感じがします。それに」
「それに?」
「流れてるBGM、クラシックですね?」
「気取りすぎ、ですか?」
「そんなことありません。良平さんらしい、って思います。落ち着いてて」
「僕は貴女の雰囲気にぴったりだ、と思ってここにお連れしたんですけどね」良平は少しぎこちない笑みを浮かべて水のグラスに手を伸ばした。「お好きですか? クラシック音楽」
「はい。よく聴きます」リサは上目遣いで、流れる音楽に耳を傾けた。「ブラームスですね?」
「すごい! よくわかりましたね。これは弦楽六重奏曲です」
「第1番ですよね? ブラームスがまだ二十代だった頃の作品」
「27歳の時だそうです。いやあ、まいった! リサさんがそこまでこんな音楽に詳しいとは……」

 リサは恥じらったように言った。「私ブラームスとラヴェルが特に好きで、よく聴いてるんですよ」
「ほんとですか? 貴女の履歴書の趣味の欄には『茶道』とだけしか書いてなかったから……。でも良かった。こんな共通の趣味があったんですね」良平は心底嬉しそうに言った。「この店の『J.B.』というのも、作曲家ヨハネス・ブラームスのイニシャル。店主が彼の大ファンなんです」
 リサは店内を見回した。「この落ち着いた、大人っぽい雰囲気はまさに、ブラームスにピッタリですね」そして微笑んだ。

「飲み物は? リサさん」
「良平さんは何がお好き?」
「ここではいつもワインです」
「私もワインは好きです」
「そう。でも、ドイツワインは甘いですよ?」
「そうなんですか?」
「いつもはどこのワインを?」
「ぱっとしたカリフォルニアとかオーストラリアの赤をよく飲みます。でも、ドイツワインも飲んでみたいです」

 良平は手を軽く上げて、ホールスタッフを呼んだ。先の男性スタッフがすぐにやって来た。
「このシュバルツカッツの猫ボトルを持って来てください」
「かしこまりました」彼はまた穏やかに微笑んでテーブルを離れた。

「白ワインですけど、いいですか?」
「ええ」

 間もなくブルーの細身のボトルが運ばれ、新たに置かれたワイングラスにその透明なクリーム色の液体が注がれた。
「わあ! かわいいボトル。猫の姿」リサは小さく歓声を上げた。

「乾杯しましょう」
「はい」

 リサと良平は同じように微笑みを交わし、グラスを軽く触れさせた。


 間もなくオードブルが運ばれてきた。

 リサはフォークを手に取った。「私、今『雨の歌』が聴きたい気分です」
 良平は顔を上げた。「『雨の歌』? 元の歌曲ですか? それともヴァイオリンソナタの方?」
「ソナタの方」
「ああ、僕もあれは好き。でもどうして?」
「ピアノに包まれて歌うヴァイオリンが、まるで恋人の胸で幸せそうにしている女性みたいだからです」リサは顔を赤らめた。
「なるほど……」
「かと思えばヴァイオリンとピアノが熱く絡み合ったり、ピアノにヴァイオリンが寄り添ったり……」
「確かにブラームスって、かなり甘くて艶っぽいところもありますね」

 良平はスープを運んできたスタッフに耳打ちした。
「かしこまりました」

 しばらくして、店内のBGMが、優しくたゆたうようなピアノの調べに乗った躊躇いがちに歌い出すヴァイオリンの音楽に変わった。

「あ!」リサは思わず顔を上げた。「『雨の歌』!」
「リクエストしました」良平はにっこり笑って、スープスプーンを手に取った。
「ありがとうございます!」リサも嬉しそうにスープ皿を引き寄せた。


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