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追憶
【その他 官能小説】

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追憶-1

手術すれば助かります。主治医はそう言った。感情もなく事務的な言い方だった。仁は自分がガンであることにもっと驚くかと思った。冷静に聞いてしまったことに驚いたぐらいだ。普通の人なら死が迫ればあれをしよう、これをしたいというのがあるだろう。しかし、仁にはそれが全くなかった。空っぽの毎日で、40歳にしてもう夢などないのだ。20代の頃は結婚して子供が生まれて、家を建てて、そんな平凡な人生を夢を見ていた。だがその夢は果せぬまま、この歳でまだ独身だ。それに親孝行したくても親はすでに他界、会社での出世も望めず、仁には毎日が消化試合みたいな感覚だった。だからガンだから何かをしておかないとと思っても何も思い浮かばないのだ。主治医には手術はしないと告げ、痛み止めの薬だけ出してもらった。

仁は病院を出ると会社に電話で今日は直帰すると伝え、地下鉄に乗った。平日の午後3時、車内は空いていた。仁は座らずにドア付近に立った。トンネル内を走る車窓には車内の様子しか映らない。自分の顔を見つめた。自分は一体何を考えているのだろう。車窓に映った車内の様子を眺めていると突然嵐のように、仁の心を何かが揺さぶった。嘘だろう?今度は車窓ではなく、車内に目を向けた。有香に違いなかった。同じ車両の連結近くの吊り革に彼女は立っている。買い物帰りなのか、デパートの紙袋を持っている。この時間だと仕事帰りではないのだろう。13年ぶりだ。彼女は仁を覚えているだろうか?当時コンビニでバイトをしていた仁は、そこで有香に出会った。一年間の交際。しかし、幕切れはすっきりしていなかった。
「もう仁のことが嫌いになった」
彼女の電話はただそれだけだった。一体何があったのか分からずに仁は何日も悩んだ。そして自分を責めた。きっと自分に魅力がなくなったのだろう。そうに決まっている。大体自分と有香ではつり合いが取れないじゃないか。これでいいんだ。悲しいけど諦めよう。
この13年、仁の頭から有香のことが離れることはなかった。27歳にして仁の人生は止まってしまったのだ。
「俺が40だから、有香は35か。もう結婚したんだろうな」
仁は有香に声をかけようか迷った。だが嫌いになった過去の男から声をかけられるってどんな気持ちだろう。あるいは逃げ出されるかもしれない。覚えてないかもしれない。あなたは誰?なんて言われるかもしれない。惨めな思いをするぐらいならこのまま知らないふりをしていよう。そんなことを考えるうちに地下鉄は乗り入れてる私鉄の線内に入りやがて地上に出た。有香は何処まで行くんだろう。

地上に出て10分ぐらいの駅で彼女は降りた。反射的に仁も降りてしまった。
仁が未だに独身なのは本人は意識していないかもしれないが、恐らく有香への想いがまだあるからに違いなかった。寄りを戻したいとかではなく、有香のことを自分の中でちゃんと終らせたいのだ。そうでないと次に進めないのだ。
勿論、仁は有香と別れたあと何人かと交際はした。だが仁は有香を抱いたときのような感覚をその後の女からは感じることはできなかった。愛があるセックスと愛のないセックスで決定的に違うのは射精したあとに自分と相手の女が一つになれたと思えるか思えないかの違いだ。有香とのセックスのときは必ず一つになれたと思えた。どんなに気持ちよくても愛がなければ射精したあとに相手の女性との一体感は感じないものだ。

 駅から10分の道のりを仁は有香を尾行した。少し急な坂道を上りながら振り返れば秋の青空を拝むことができた。有香は二階建て木造アパートの一階の部屋に入った。アパート暮らし?まだ独身なのか?仁はここで帰るべきか、彼女の部屋を訪ねるべきか悩んだ。しかし答えはどちらでもなかった。裏に回ったのだ。そして雑草が生える庭を這うように彼女の部屋の前まで来た。そして草むらの中で一度は身を潜めたが、そっとそっと立ち上がるとガラス戸の中を覗いた。何も気付かない彼女は着ている物をどんどん脱ぎ始めた。きっとシャワーでも浴びるんだろう。スーツ、ブラウス、ブラジャーそしてスカートにショーツ。まさか覗かれてると思っていないので無防備に全裸になった。13年前と裸体はそれほど変わっていなかった。多少肌のつやが落ちたことぐらいだ。赤っぽい乳首も、薄い陰毛も懐かしかった。そして彼女は浴室に入った。

あれ?試しにガラス戸を開けてみたら鍵があいている。それで仁は部屋に上がりこんだしまった。6畳一間にキッチンとユニットバス。有香がシャワーを浴びている間、仁は青い絨毯の上に腰を下ろした。有香に何と言って声をかけるか?そんなこと分からなかった。どうしていいのか。今すぐ逃げたい気持ちにもなった。だが、すぐそばに有香はいるのだ。会わずに帰ることもできなかった。室内の洗濯物が目に入る。ブラジャーがカラフルだ。昔は白しかつけなかったのに、趣味でも変わったのだろうか。浴室のお湯の流れる音が止まると緊張が走った。もうすぐ有香と対面だ。13年ぶりの対面だ。ゆっくりと浴室のドアが開く。有香はバスタオルで体を拭いている。そして仁と目が合った。
 




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